
歴史的な能書家といえば、空海や近衛信尹といった人物がまず思い浮かぶ。対して、時には「上手いか下手かわからない」などと言われながらも、古今多くの人々に愛されてきた書家が、禅僧・大愚良寛である。
清貧に徹しながら詩作に励む
良寛は、宝暦8年(1758)、越後の名主の長男として生まれた。幼い頃から聡明さを見込まれ、儒者・大森子陽の家塾に通う。18歳になって、名主の見習いとして働き始めるが、この仕事はまったく肌に合わなかった。出家して、一介の僧侶を目指すことになる。
厳しい修行を経て、放浪の後、39歳で故郷に戻った良寛は、清貧の暮らしを貫いた。そして、最晩年まで和歌や漢詩を詠み続けた。現在も残る和歌は約1400首、漢詩は約500首におよぶ。書道のお手本とはまるで異なりながら、芸術的・独創的な作風は高く評価されている。
その良寛の珠玉の作品が、細見美術館(京都市)で開催中の特別展「良寛さん―その人と禅―」にて一堂に会している。

童心に返り子どもの目線で交流
本展は、「野の禅僧 良寛」「求道者 良寛」「草庵つれづれ」の3つの章で構成されている。自由な精神を体現しながら、仏道を追究した禅僧の想いがこめられた書を中心に展示している。
さらに、長らく公開されていなかった代表作も。例えば、有名な《凧文字 天上大風》。托鉢中に子どもから「凧を作るので字を書いてほしい」と乞われて書いたという。

良寛の子ども好きは、よく知られている。この逸話も、良寛が童心に返って子どもと交流した、心温まるものである。どこか簡朴な印象を与えるこの書にも、良寛の性格がよく表れている。
震災後の胸の裡をつづる
文政11年(1828)11月12日、越後で大地震が起きた。死傷者は約3千人、倒壊・焼失家屋は約1.4万軒におよぶ大災害であった。良寛は、震災時の胸の裡をつづった《地震後詩》を残している。

良寛は、地震がもたらした凄惨な様子とともに、泰平の世で人心が弛緩し、愚行がはびこる風潮をも嘆いている。そして、災害が起きるのは世の常であり、天を怨むより自らを省みる大切さを説く。われわれが良寛に持つ朗らかな印象とは異なる厳粛さを、この詩から読み解くことができる。
同時代の手毬も展示
昔読んだ絵本の影響か、良寛といえば手毬を連想する。実際、袈裟の袖裏に手毬をしのばせ、しばしば子どもと毬つきを楽しんだという。手毬をテーマに漢詩として詠んだのが《自画賛 袖裏繍毬直千金》である。

(良寛、江戸時代後半、個人蔵)。
「刺繍を施したこの毬は千金に値し、毬つきにかけては自身にかなう者はいない。その極意を問うなら、一二三四五六七と数えることだ」と書いている。添えた自画像が、どことなくユーモラスである。単に毬つきの上手さを自慢するのでなく、有と無を行き来する禅の自由無碍の境地を説いているのかもしれない。
また、良寛が実際に使ったものではないが、同時代の手毬も数点、参考展示されている。下の写真の手毬は、ゼンマイの綿毛を芯にして、その周囲に木綿糸を巻いて作られた。意外と小ぶりである。

良寛を題材にした他の作家の作品も
展示室では、良寛の書以外の作品も目に留まる。正座姿の良寛の木彫は、彫刻家・平櫛田中(でんちゅう)の晩年の作。「ざくろ」とも題されており、いとおしげに掌中に収めているのは、ざくろの果実である。良寛が体調を崩していたときに、好物のざくろを贈られたという逸話にちなんでいる。人の好意に感謝する、良寛の人柄がにじみ出ている。

「日本書美の極致」とも称えられる良寛の作品だが、本展を探訪して実感したのは、書そのものが持つ魅力だけではなかった。仏教の深い理解に根差した思想・心境にも触れられた思いがし、心地よい鑑賞体験であった。
【開催要項】
特別展「良寛さん―その人と禅―」
会期:~11月8日(日)
会場:細見美術館
住所:京都府京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
電話:075-752-5555
公式サイト:https://www.emuseum.or.jp/exhibition/ex094/
開館時間:10時~17時
休館日:月曜日(ただし10月12日(月・祝)は開館し10月13日(火)に振替休館)
料金:公式サイト参照
アクセス:公式サイト参照
【主要参考図書】
『良寛さん―その人と禅―』(公式図録)(小島正芳著・監修/淡交社)
『「どん底目線」で生きる 良寛詩歌集』(中野東禅著/NHK出版)
『良寛の書』(NHK「美の壺」制作班編/日本放送出版協会)
取材・文・写真/鈴木拓也
老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライターとなる。趣味は神社仏閣・秘境めぐりで、撮った写真をInstagram(https://www.instagram.com/happysuzuki/)に掲載している。





