藤子不二雄(A)。 1934年3月10日生まれ。 漫画家。1987年までは“藤子・F・不二雄”とのコンビ「藤子不二雄」として活動。代表作に『忍者ハットリくん』『笑ゥせぇるすまん』『少年時代』など。 藤本賞・山路ふみ子特別賞、 第34回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞。08年には旭日小綬章を受章。

 日本を代表する漫画家が青春時代を過ごした伝説の地を忠実に再建した「トキワ荘マンガミュージアム」。昨年末、自らも20歳からの7年間を過ごした藤子不二雄(A) が開館後初めて訪れたことは大きな話題を呼んだ。くしくも、原稿を描きかけの室内や炊事場の様子は、「トキワ荘」の青春時代を哀歓を込めて描いた藤子不二雄(A)の自伝的名作『愛…しりそめし頃に…』(小学館)の描写も参考に再現されたという。

「トキワ荘の再現は驚いたと同時に感激しかありません。20歳のころの記憶が蘇ってきて、思わず泣きそうになりました」と感慨深く胸の内を明かした。藤子不二雄(A) が、往時の仲間たちとの同志的生活と、その絆をとりもったトキワ荘名物「チューダー」について、秘話をまじえて熱く語った。

自伝的名作『愛…しりそめし頃に…』 の日々

── トキワ荘に伝説が誕生するきっかけは?

「ボクらが入居したのは 手塚先生の退去されたあとでしたから、 手塚先生とトキワ荘時代は直接重ならないんです。ボクらも含めて入居してきた漫画家の卵はみんな手塚先生に憧れて集まってきた漫画青年です。しかも当時は、今と違って漫画や漫画家という職業に対する世間の目が厳しい時代で、周囲からはなかなか理解されないわけですから、みんなたちまち意気投合したんですね。

出版社のほうも、“ 手塚さんの原稿の穴があいた”といってはトキワ荘を訪ねてきて “誰か手が空いている人はいない?” と。そこで、仲間たちが力を貸しあって原稿を描き上げたことも一度や二度ではありません。それも、仲間としての絆があったからできたことでしょうね」

── 石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子・F・不二雄…輪の中心になったのは誰でしょうか。

「ボクの3歳上で、精神的にも大人だったテラさん(寺田ヒロオ)です。大家さんに信頼を寄せられていたテラさんが入居希望の漫画青年のなかで、これはと思う人を集めたのが、のちのち語り継がれる共同生活の始まりでした。トキワ荘の仲間と通いの漫画青年を集めた『新漫画党』の結成を呼びかけたのも彼。テラさんを慕って、その部屋に仲間が毎日のように集まってくるんですね。つのだじろう氏も新宿からスクーターでほぼ毎日通ってきました。

新漫画党の集まりのときに漫画論義なんてほとんどしないんです。見たばかりの映画から受けた感動を語り合ったり、出版社の横暴にお互いなぐさめあったり、うさを晴らしたりね」(笑)

── そうなると、お酒の力も借りて? 

「そうそう。そんな座でお酒があるとみんな楽しくなりますよね。テラさんもボクも社会人生活の経験があり、お酒は好きでしたから。一方、若くしてこの世界に入ったほかの仲間はあまりお酒になじみがなくて、藤本(弘)氏などはほとんど飲めなかったんじゃないかな。

それで初心者にも飲みやすいようにと、サイダーに焼酎を垂らして出すように自然になったんです。宝焼酎をサイダーで割るから『チューダー』。名付け親はテラさんだったか、私だったか…ただ、テラさんや私はいける口だったので、宝焼酎の水割りも飲んでいました」

── 寺田さんと藤子(A)先生、お酒好きコンビがあっての「チューダー」だったんですね。

「会合で飲む焼酎もサイダーもテラさんがいつも自腹で用意してくれたんですが、それを誰も不思議に思わなかったんですよ。というのも、ボクたちは陰で『寺田銀行』と呼んでいたんです。ふだんから生活費が足りなくなり月末に家賃が払えないで困っていると、テラさんのほうから “家賃大丈夫?” といって工面してくれるんです。いったん断って、 “ やっぱりお願いします” なんて、バツの悪いこともありましたが、兄貴分のテラさんは自分の生活も楽じゃないのにそれをちっとも感じさせないんですね。テラさんがいなかったらみんな途中でトキワ荘をもっと早くに出ていたはずです。ボクらより少し年上でしたが、兄というよりお父さんみたいな人でした。

ツマミもテラさんがキャベツ好きだったので、キャベツ炒めとマグロのフレークがチューダー会合の定番でした。通い組の友人が訪ねてきたり、仲間に吉報があったりしても、すぐに宴会が始まるんですね」

── ライバル同士が仲間を求めあうのは、現在からみると羨ましい関係ですね。 

「漫画家って基本的に孤独な仕事だから、フラストレーションがたまりがちだし、人恋しくなりますよね。トキワ荘はちょうど旧制高校の寮みたいで、みんなが集まってわいわいやっていると愉快になって、すごく元気を与えてくれる。

漫画家になるのはまだ夢のような時代で、何の保証もない世界でした。ボクの実家は父親が早くになくなって長男でもあったので、新聞社記者時代には母親に給料の一部のお金を入れていました。藤本氏が就職してわずか3日で会社を辞め、漫画家になるために “ 上京しよう”といったとき、ボクが母親に相談すると “ いいわよ ” とあっさり認めてくれました。それで何も不満がなかった新聞社をやめて上京したんですね。あのとき藤本氏が声をかけてくれなかったらその後、漫画家になっていなかったかもしれません。かっこよくいえば “ 夢にかけた” んですね」

仲間たちの結束の名脇役「チューダー」

── 同じ夢をいだく仲間たちが一つ屋根の下に集まった。

「彼らの作品を読んで感動して “ボクも頑張らないと” と発奮するわけです。仕事の注文がなくても、石森氏や赤塚氏の部屋の電気が深夜1時、2時までついていると、ボクも負けられないと描き出したりして。本来は新進の漫画家同士ライバルのはずなのに、そんな意識はまったくなくて、雑誌で連載が決まれば、みんなで喜びあって。トキワ荘を出てからも『同窓生』のようなつきあいがずっと続いたのも、それがボクらの原点だから。生涯にわたる、分かちがたい同士の仲をとりもってくれたのが『チューダー』だったんです」

── 『愛・・・しりそめし頃に・・・』 にも、仲間たちの結束の名脇役として「チューダー」がたびたび登場します。

「連載当時、漫画を描きながらよみがえってきたのは、大勢でわいわいやっていた楽しい想い出ばかりでした。

トキワ荘の仲間とは漫画だけのつきあいじゃないんです。ふだんから映画を一緒に見たり、富士五湖に行って遊んだり、ときには草野球チームの対戦でふだんの運動不足を補ったり。遊びと仕事、それに人間関係がトキワ荘を中心になりたっていて、それぞれ分けて考えられないほど密着していました」

── 仲間たちがいたから、厳しい人気競争にさらされる漫画家を続けることができた?

「ボクの漫画家生活の原点に、思えば夢のような、お祭りのようなトキワ荘での毎日がなければ、いまも漫画家を続けられていたとは思えません。

時には悲しい別れの酒もあったけれど、そんな座で覚え、仲間たちと呑みかわしたチューダーの味は、多少オーバーにいえば『汗と涙』で彩られたボクの青春そのものでした。

長い『まんが道』のいちばん大事な時期に、仲間たちと酌み交わした宝焼酎もボクらの心の糧、戦友の一部といってもいいくらいかな」

藤子 不二雄 (A)思い出のチューダー、登場シーンをスペシャル動画化!

『トキワ荘と宝焼酎の物語』がスペシャル動画になりました。ぜひご視聴下さい。

※藤子不二雄(A)の表記は、正しくは藤子不二雄 Ⓐ (丸囲みのA)になります。


このうまさ、百年品質。

宝焼酎の誕生は、大正元年(1912年)。100年を超える長い歴史の中で、私たちがたどり着いたのは、貯蔵技術とブレンド技術でした。
そのすっきりしたまろやかな味わいこそ、「宝焼酎」が一番愛され続けている理由です。
飲み継がれる、おいしさを。今までも、これからも、人生に寄り添うこの味わい。
次の100年へ。その品質を磨き続けます。

「宝焼酎」Webサイトはこちら

トキワ荘と宝焼酎の物語」の記事一覧はこちら


取材・文/山田英生   撮影/藤岡雅樹 

飲酒は20歳を過ぎてから。飲酒運転は法律で禁止されています。

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