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再現されたトキワ荘の炊事場に『宝焼酎』を発見。トキワ荘に集った漫画青年たちの宴の中心にはいつも『宝焼酎』があった。

手塚治虫を慕って上京してきた才気溢れる漫画青年たち

かつてトキワ荘と呼ばれる木造賃貸アパートがあった。東京都豊島区椎名町5丁目2253番地。目白通り二又商店会と南長崎ニコニコ商店街の境界にあり、現在の南長崎三丁目にあたる。

木造モルタル二階建てで、炊事場とトイレは共同。押入れ付きの4畳半が全22室。ラーメン一杯が40円という時代に、1か月の家賃が3000円。当時としてはごくありふれたアパートに、竣工からときをおかずしてひとりの漫画家が入居する。昭和28年初頭、すでに「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」といった代表作をもつ若き日の手塚治虫だった。

漫画の黎明期だった昭和20年代末から30年代のはじめ、全国の漫画少年の憧れだったひとりの天才漫画家を慕い、地方から漫画家の卵が吸い寄せられるように、トキワ荘へ集まりだす。

新潟からは寺田ヒロオ、富山からは藤子不二雄(のちの藤子不二雄 (A) と藤子・F・不二雄)、石ノ森章太郎は宮城から。新潟からの上京後、西荒川の町工場に住み込み工員をしていた赤塚不二夫は石ノ森と前後して同居。それぞれに夢と希望を胸に秘め、郷里に残した家族の期待を背に、ここへとやってきた。

入居こそしなかったものの、九州から出てきた松本零士や高井研一郎、東京生まれのつのだじろうやつげ義春、満州(現・中国東北部)から東京の下町へ引き揚げてきたちばてつやもまた、手塚や彼を慕う漫画家仲間と会うためにこのアパートへ出入りをした。

戦後の漫画黎明期を開拓した、綺羅星のごとき若き俊英たちが青春時代の一時期を過ごした、トキワ荘伝説の始まりだった。

今年、解体から38年ぶりに再現された「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」(写真提供:豊島区立トキワ荘マンガミュージアム)

昭和29年、憧れの手塚に原稿を見てもらうため富山からトキワ荘を訪ねた安孫子素雄(のちの藤子不二雄(A))は、手塚に紹介された寺田ヒロオと意気投合し、そのまま寺田の部屋に一週間も泊めてもらうことになった。

その後、藤子不二雄両名は、雑司が谷へ仕事場を移すことになった手塚のはからいで、手塚の部屋を借り受けることになり、手塚、寺田に続く漫画家の入居者となる。そこへ、のちに日本アニメの草創期をになう鈴木伸一や、東北の天才少年・石ノ森、ギャグ漫画で開花する赤塚ら、一騎当千の若者が結集した。

この時期、才能あふれる地方の漫画青年がトキワ荘に集まったのは、先に入居していた寺田や藤子らが相談し、入居を希望する漫画青年を選んだからでもある。漫画家という職業が、まだ世間に認知されていなかったこの頃、トキワ荘はあふれるような才能をともに育む若き俊英たちの梁山泊となっていく。

「漫画の神様」と仰ぐ手塚治虫にかわり、少し年上で《まことにタノモシイ大人》(藤子不二雄(A))と慕われる寺田の発案で、旧世代の漫画家を乗り越え、少年漫画の新時代を開拓せんとする「新漫画党」が結成される。新時代の到来へ獅子吼をあげる、お祭り騒ぎのような毎日が繰り広げられた。

《ぼくらはその間、まとまったものは描いてなかったが、仲間が多いので実に楽しかった。仕事があろうがなかろうが、金があろうがなかろうが、何とかなっていた不思議な時代であった。
会合と称して毎日仲間と会ってまんがについて語り、映画、展覧会、スケッチ旅行にもいっしょに行った……思えば、漫画に青春をかけたあの仲間たちにトキワ荘で会わなかったら、現在でもおたがいに描いていたかどうかわからない》(藤子不二雄(A)『なつかしのトキワ荘時代』より)

遊びも、無駄口も、同じ空気を吸うことが、若き彼らの血となり肉となった濃密な時間。それはまちがいなく、漫画の青春と呼ぶにふさわしい、青葉の時であった。

漫画の聖地が解体から38年ぶりに再現

「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」では、トキワ荘に暮らした漫画家の部屋を当時のままに再現。

そして今年、「夢のゆりかご」として歴史に名をとどめる漫画の聖地は「トキワ荘マンガミュージアム」として解体から38年ぶりに復元された。

実際の跡地からわずか数百m離れた南長崎花咲公園内に再現された建物は、外壁にモルタルを塗装し、外見は木造アパートにしかみえない。内部も同様で、入り口の引き戸を開き、上がり框で靴を脱ぐと、ぎしぎしと踏み板がきしむ音が来館者を迎える。階段を上がりまっさきに目にするのは、共同で使用する「和式便所」だ。

「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」では2階の各部屋が当時の配置のまま再現されている。

2階には、寺田、石ノ森、赤塚らが白い紙に夢を紡いだ四畳半の部屋が忠実に再現されているが、なかでも注目されるのが「炊事場」だ。

坊ちゃん育ちで、銭湯嫌いだった石ノ森が公私をともにした盟友・赤塚と水浴びをしたという伝説をもつステンレスの流し台が時代を感じさせるが、大の若者ふたりが水浴するには小ぶりなことに意外な感じがするだろう。

火で燻み、鈍い色を放つガスコンロや、アンティークショップに並んでも不思議ではない往年の食器類や中央に置かれた木製テーブルの上には、古色を帯びた調味料やソース類の壜が見られる。仲間たちの団欒に「即戦力」となっただろう「鍋」やラーメンの残し汁まで再現されている。使いさしの箸や取り皿とともに、まるで昨日のことのように再現されていることに驚く。

共同炊事場も再現。調理台の上にあるラーメンどんぶりは、トキワ荘の漫画青年が愛した中華料理店「松葉」のもの。

仔細に目をくばれば、いまでも時折り見かけるコーラやサイダーの小さなサイズの空き壜に混じり、親しみのあるラベルを身にまとった2本の酒壜に気づくことだろう。丸い円の縁取りに「寶」と刻印されたラベルは、いまも焼酎の代表格として世に知られる「宝焼酎」の壜である。

それは、トキワ荘伝説を彩る小道具にして、欠かすことのできない名脇役であった。新しい友を迎える出会いの日、友が旅立つ別れの日、いつも宴に華を添えたのが、『宝焼酎』だったのだ。

才気あふれる俊英たちの夢も、不安も、喜びも、涙も、『宝焼酎』の盃とともにあった。それは、手塚治虫に憧れ、戦後の漫画を開拓していく若者たちの若葉の日々を彩る、青春の酒であった。

※藤子不二雄(A)の表記は、正しくは藤子不二雄 Ⓐ (丸囲みのA)になります。

豊島区立トキワ荘マンガミュージアム

開館時間:午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
休館日: 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)その他年末年始、展示替え期間
入館料: 無料 (企画展は有料の場合あり)入館はHPからの予約制
住所: 東京都豊島区南長崎3-9-22 南長崎花咲公園内
Webサイト:https://tokiwasomm.jp/
10月30日から「寺田ヒロオ展」開催決定

このうまさ、百年品質。

宝焼酎の誕生は、大正元年(1912年)。100年を超える長い歴史の中で、私たちがたどり着いたのは、貯蔵技術とブレンド技術でした。
そのすっきりしたまろやかな味わいこそ、「宝焼酎」が一番愛され続けている理由です。
飲み継がれる、おいしさを。今までも、これからも、人生に寄り添うこの味わい。
次の100年へ。その品質を磨き続けます。

「宝焼酎」Webサイトはこちら


撮影協力/豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
取材・文/山田英生 撮影/乾 晋也

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