妻が最後に言った「わがまま」とは

妻の病気平癒を祈る哲司さんは、ガンを封じる祈祷や水に1000万円近くも支払った。

「そこはガンが治った人がゴロゴロいる。夜を徹して本気で祈れば治ると思った。出入りするうちに、信者の先輩である女性と知り合って、妻のことを相談するうちに男女の仲になってしまった」

彼女は50代前半の未亡人。夫が事故死した後に、その宗教に入信したという。哲司さんは不安から逃げるように、彼女の家に入り浸る。様子がおかしいと察したのは妻の妹だった。

哲司さんは、文句を言ってくる妻の妹に「私が帰ってくると世話をしてしまうだろう。僕がいないほうがいいんだよ」と言う。すると、妻の妹は「お義兄さん、何も聞いていないの!? 姉さんの病気、ホントに悪いのよ。残された時間はあと1年もないんだって。一緒の時間をたくさん作って」と言う。

「冷水をぶっかけられたような衝撃でした。妻に聞くと『あ~、もう黙っていてと言ったのに』と言う。そこで私は元気なうちに、妻が行きたかった、アメリカ・アリゾナ州のパワースポット・セドナ、ベトナムのダナン、フランスのバスク地方などを夫婦で旅をすることにしたんです」

それまで、夫婦での旅行は数えるほどしかしたことがなく、その準備も手配も妻がしていたという。

「妻は『パパが準備も手配もしてくれるの? なんか不思議な感じね』と言うんです」

この旅で、妻が、他人に迷惑をかけないことを信条として生きてきたことがわかった。

「その根本にあったのは妻の両親の教育だった。『相手の時間を奪ってはダメ、常に朗らかに愛される女性になりなさい』と育てられたことを知りました」

もうひとつわかったのは、妻は一生独身を貫くつもりだったこと。結婚したとき、哲史さんは32歳、妻は33歳だった。当時、かなり晩婚の部類になる。

「妻は『人がいるとホッとできないから、結婚したくなかったの。でもパパならいいな、って思ったの。だってパパ、バカじゃない(笑)』と言ってくれたんです。私の愚かなことを全て知って、受け入れてくれていた。死なせてなるものかと思いましたが、残された時間は少ない」

最後の夫婦旅は、妻が亡くなる半年前。石垣島に行きダイビングをしたこと。

「ホントは妻だけ潜るつもりだったのだけれど、『どうしても一緒にやりたい』と言う。今まで妻は私に何かを要求したことはなかった。妻の最初で最後のわがままは聞かねばならない。あわててライセンスを取って、一緒に潜った。海の中は夢のように美しかった。半ばパニックになっている無様な私に目もくれず、妻は美しいフォルムで水中を進む。あの姿は忘れられない」

石垣島の星を見ながら妻は「もっと早くにいろんなことを言えばよかった」と初めて泣いた。「パパと一緒にしたいこと、いっぱいあったのよ。でももう満足、ありがとう」と続けた。

「こっちはどうしていいかわからない。約30年間の結婚生活、後悔だらけですよ。これからまだ一緒にいろいろやろうよ、と言うと、『何言ってんの? パパはやっぱりバカね。そこが大好きよ』と笑いながら言ったんですよ。ホントに私は何もわかっていなかった」

それから、妻の体調はどんどん悪くなり、さまざまな治療を施したが、命の火は消えてしまう。

「最後まで夫婦喧嘩は一度もできなかった。死ぬ前に『オマエと結婚して不幸になった!』とか罵ってくれればよかったのに、最後は微笑みを浮かべながら眠るように亡くなっていったんです。あれから、後悔だらけで何もできない。家族の“扇の要”は妻だった。今ではもうバラバラですよ。今は妻の遺影に語り掛けて、贖罪をする毎日です」

取材・文/沢木文
1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』『不倫女子のリアル』(小学館新書)がある。

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