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取材・文/ふじのあやこ

【家族のかたち】両親の離婚、祖母の死去で母親との2人暮らしがスタート。親子なのに、2人暮らしの距離感が掴めないままだった~その1~

昭和、平成と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族を持つようになって感じたこと、親について、そして子供について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。

今回お話を伺ったのは、妙子さん(仮名・42歳)。現在、都内の企業で派遣社員として働きながら、小学校4年生の男の子を育てている母親です。妙子さんは埼玉にある実家にほど近いアパートで子供と2人暮らしをしていますが、離婚はしておらず別居状態だと言います。今の家庭について語る前に妙子さんが育った環境について、話を伺っていきます。

小さい頃覚えているのはケンカする母親の泣き声。必死で寝たふりを続けていた

妙子さんは埼玉県出身で両親との3人家族。妙子さんは父親の仕事についてサラリーマンだと言いますが、詳しくは覚えていないそう。それは小学生の頃に両親が離婚して父親は家を出て行ったからだと語ります。

「私の家は3部屋ほどの小さなアパートで、私の部屋は居間の隣にあって襖で区切られているだけでした。小さい頃覚えているのは、両親の言い争う声で目が何回も覚めたことですね。言い争いというか、母親が泣きながら父親に何かを言っていたという記憶です。父親の声はまったく覚えていません。

その後、一度だけ『どっちと一緒にいたいか』と聞かれたことがあります。でもそれも父親になのか母親になのかあんまり覚えていなくて……。そんなあいまいな記憶が残る中、普通に会社に行くような感じで父親は出て行き、二度と戻ってくることはありませんでした」

程なくして、両親は離婚。母親とともに母方の祖母が住む家に引っ越しすることになります。祖母の家は住んでいたところから徒歩圏内だったこともあり、転校などはなかったそう。しかし転校しないことで辛いこともあったと言います。

「苗字が変わるじゃないですか。当時の私のあだ名は下の名前から来ていたので変わらなかったし、友達もみんないつも通りに接してくれていました。でも、当時はそんなに離婚している家庭もいなかったこともあり、先生から嫌な気の使われ方をしていて、新しい苗字をあまり呼ばないようにかあまり授業で当てられなくなったんです。その気遣いのせいで逆に目立ってしまって、居心地が悪かったですね」

妙子さんは両親の離婚後の当時を振り返り、母親にある罪悪感があるそう。

「私の学校の友達のほとんどに兄弟がいたんです。『お姉ちゃんからこれをもらった』とか、お兄ちゃんがいることで少年マンガに詳しいことなんかが羨ましくてたまりませんでした。だから私はよく母親に『兄弟が欲しい』って言っていたんです。今振り返ると、すごいストレスを与えていたんじゃないかなって。両親はいつから仲が悪かったのかはわかりませんが、不仲なのに子どもからのその言葉は母親を追いつめていた気がしてしまって。自分が母親になるまでそのことには気付きもしませんでしたね」

【次ページに続きます】

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