3月19日放送のNHK『日曜討論』のテーマは「リスキリング」。仕事に必要なスキルを再び習得する、学び直しなどの意味で、政府はその支援に5年で1兆円の予算を投じると表明しています。番組に出演したライフ&キャリア研究家の楠木新さんは近著『75歳からの生き方ノート』の中で、高齢者のリスキリングの重要性についても説いています。高齢者のリスキリングはどうあるべきなのでしょうか。

文/楠木新

最近は国の方針により成長産業で通用する人材を養成するリスキリング(学び直し)がマスコミにもよく取り上げられます。長く働くことができるスキルや技能を身につけようというものです。

それも意味があるとは思いますが、中高年期以降の人は、国家戦略などとは別に自分の生き方を充実させるための学び、自らの居場所を見つけることが大切でしょう。中高年期以降に大学や大学院で学び直して新たな仕事に就いている人は少なくありません。大学院で学んだ公務員が、定年後に大学教員の仕事に就いた例や、大学で街づくりを学び、NPOで活躍する人もいます。

取得した資格を活かす事例も少なくありません。キャリアコンサルタントの資格を持って大学生の就職活動の支援をする人、社会保険労務士の資格を取得して、中小企業経営者の労務関係の相談に乗る人、定年退職後に保育士の資格を取得して週に3日ほど保育所で働いている男性もいました。

仕事とは関係なく学ぶこと自体を新たな居場所にしている人も多くいます。大学で歴史を学びたかったが就職を考えて経済学部に入学した会社員がいました。彼は60歳の定年を区切りとして、大学の文学部に入り直して歴史を学んでいます。また長く商社で働いた後、「総合商社という業態がなぜ欧米にはないのか」という課題を研究したいと話す人もいました。

「生まれて初めて学割が使える」

私と社会人大学院でクラスメートだった70代の男性Kさんは、中学を卒業して建設業、不動産業で会社を立ち上げて長く社長として働いてきました。バブルの崩壊で大きな借金を背負ったのですが長い期間かけて完済した後に、経営学を学び始めます。

彼が「生まれて初めて学割が使える」と学生証を掲げて自己紹介する姿や「俺は初めて大きな組織で働くサラリーマンを見た」という発言にも驚かされました。彼にとっては、大学院が未知の経験ができる楽しい居場所だったのです。

また、グループで学び直す方法もあります。兵庫県主催(当時)の「シニアしごと創造塾」の塾生同士がラジオ番組制作を目指そうと学びを続けた例などです。その結果、関西一円をサービスエリアにしているラジオ関西で、15分間の自主制作番組『60歳からげんきKOBE』を数年間にわたって発信することができたのです。

当時のメンバーは9人で、代表のSさんをはじめ半数以上は70代の定年退職者が中心でした。実は、私は50代後半の一時期、この活動に参加していました。会社員から異なる仕事に転身した人を何人かラジオで紹介する機会をもらったからです。多くの聴取者がいるラジオ番組なので、内容に関して活発な議論が飛び交っていたことを覚えています。まさに番組制作は、70代の彼らにとっての新たな居場所であると感じました。

仕事に一旦区切りをつけた後に、本当に学びたいことに出会ったという人は少なくありません。仕事に取って代われるものが学びのなかにあるからでしょう。

週に1日、1コマだけ大学院で受講

私と同じ生命保険会社に同期入社したNさんは、長く法人営業の仕事をしてきましたが、51歳の時、万博記念公園(大阪府吹田市)にある大阪日本民芸館に出向を命じられました。全く予想もしていなかった異動先に驚き、当初はショックを隠せませんでした。彼は芸術関係には全然興味もありませんでした。

しばらくして気持ちを切り替えて、本来の財団の管理・運営の仕事に加えて通信制の芸術大学に入学して、学芸員の資格を取得しました。自分の研究課題を持って学び始めたのです。その後は、修士課程に進んで論文を書き上げました。

9年間勤め上げて60歳で定年退職した後も、週に3日アルバイトをしながら大学院の博士後期課程に通い63歳で博士号を取得しました。2022年7月の日本経済新聞の文化欄に、彼の研究内容とそれに取り組んだ経緯が大きく取り上げられました。同期入社の中では唯一の「博士」です。彼は研究を続けているうちに面白くなってやめられなくなったと語っていました。

Nさんの場合、本格的に学んで博士論文まで書き上げましたが、もっと手軽な方法で学ぶこともできます。私は自宅から近い大学の聴講生として週に1日、1コマだけ大学院の授業を受けました。2022年度の前期は死生学、後期は文化人類学を受講しています。

高齢者に門戸を開く大学は少なくない

いずれも一度は学んでみたいと考えていた科目でした。ゼミでの発表の時は、テキストを読み込んで発表資料を作成することもありますが、自分の関心のあることをやっているので苦にならず楽しく取り組めます。

私と同世代の男性も受講していました。担当の教授は、いろいろな世代の人が集まって議論する方が授業も充実する、現役の学生にも好影響を与えると話してくれました。「退職すると若い人と語る機会がなくなるので、こちらも大変ありがたいのです」と私は答えました。

地方公共団体が高齢者のために学びの場を提供しているシニア大学や、カルチャーセンターに呼ばれて話をする機会がよくあります。そこでは生徒同士が友達のように楽しく語り合っている姿をよく見かけます。

学生時代を振り返っていただければ思い出す人もいるでしょうが、何かを学ぶことは人とつながるきっかけにもなりやすいものです。仕事と同様、目標が共通しているのでコミュニケーションが円滑に進みやすくなります。

高齢者に門戸を開いている大学も少なくありません。学ぶのに年齢は関係なく、いつからでも始めることができるので、新たな居場所としてもお勧めです。年齢を重ねても続けることができるというメリットもあります。

※楠木新・著『75歳からの生き方ノート』(小学館)より抜粋して再構成

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楠木新(くすのき・あらた)
1954年、神戸市生まれ。1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。人事・労務関係を中心に経営企画、支社長などを経験する。在職中から取材・執筆活動に取り組み、多数の著書を出版する。2015年、定年退職。2018年から4年間、神戸松蔭女子学院大学教授を務める。現在は、楠木ライフ&キャリア研究所代表として、新たな生き方や働き方の取材を続けながら、執筆などに励む。著書に、25万部超えの『定年後』『定年後のお金』『転身力』(以上、中公新書)、『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『定年後の居場所』(朝日新書)、『自分が喜ぶように、働けばいい。』(東洋経済新報社)など

 

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