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取材・文/ふじのあやこ

昭和、平成と時代が移り変わるのと同様に、家族のかたちも大家族から核家族へと変化してきています。本連載では、親との家族関係を経て、自分が家族(パートナー)を持つようになって感じたこと、親について思うことを語ってもらい、今の家族のかたちを迫ります。

今回お話を伺ったのは、康則さん(仮名・42歳)。現在、都内にあるWebコンテンツを作成している企業で企画の仕事をしています。康則さんは32歳の時に結婚して男女2人のお子さんに恵まれ、奥さまとともに子育てに奮闘していると言います。

父親はいつも味方に。「やればできる」という言葉は嬉しかった

康則さんの京都府出身で、両親との2歳上に姉のいる4人家族。父親は名の知れた企業に勤めており、母親は専業主婦という家庭で育ち、近所には両親の祖父母や親戚の家が点在していたと言います。

「両親は学生時代からの知り合いで、同い年。お互い25歳になる時に結婚していて、周りの親戚もだいたい若くして結婚している人が多くて従姉も同世代ばかりでした。私が小学生の頃ぐらいまでは親族を含めた大人数で旅行などもしていました。車6~7台が連なって、キャンプや海などによく出かけていました。両親がともに出かけるのが好きで、家族だけでも色んなところに連れて行ってもらいましたよ。東京にも何度も行っていました。東京ディズニーランドで遊んでいる写真が家には多く残っています」

ご両親の印象を、父親は優しく、母親は厳しかったとこたえます。

「母親にはよく怒られていた、ぶたれていた記憶が残っています。細かくは覚えていないけど、友人とケンカをしてケガをして帰ってきたことがあったんですが、そのケガを追求されることが怖くてずっと黙っていたんです。そしたらけっこうな化膿になってしまって。あまりの痛みに泣きながら母親にそれを伝えた時とかはすごく怒られましたね。どっちでも怒るのかよ……って思いました(苦笑)。そんな私を慰めてくれるのはいつも父親でした。そこで一緒に母親の悪口を言い合うんです。『あんなに強く言う必要ないよな』って。その言葉が欲しくて、母親に怒られる度に必要以上に凹んだふりをして、父親が来てくれることを待っていたことがありますね」

中学、高校という多感な時期こそ両親との関係は希薄なものになりますが、その間も大きな揉め事はなかったそう。しかし、康則さん自身の中では高校生活は挫折だったと振り返ります。

「勉強があまりできなくて、父親が希望する高校には入れなかったんです。それで父親に咎められたわけではありません。でも、『高校でいい成績を収めれば大学で挽回できる』って父親に言われたことが忘れられません。自分の行く高校が悪いところだって言われた気分でした。でも、父親の『やればできる』という言葉は嬉しかった。期待されるということは自分はもっとできる人間だと思うこともできましたから」

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