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3 夏目漱石 2

今から124 年前の今日、すなわち明治25年(1892)10月27日、東京帝国大学に在籍中の25歳の漱石は、母校の構内で正岡子規から呼び止められた。

見ると、子規は学生服も制帽も身につけていない。子規は漱石の心配や奔走をよそに、一両日前にとうとう大学退学の手続きをすませてしまっていた。子規はもはや、大学生ではなかったのである。

この日、子規に、これといった用事が大学にあったわけではない。こののち自身が正式社員となる日本新聞社に出向いた帰途、なんとなく漱石に会いたくて大学へ立ち寄ったのだった。

漱石は子規に誘われるまま、湯島の豊国楼という店に行き、一緒に「牛鍋」をつついた。牛鍋は、牛肉を野菜などと一緒に鍋で煮て食べさせる料理で、明治期に西洋から流入した。昨今、日本食の代表のようにいわれるスキヤキは、この牛鍋がひとつの起源といわれているから面白い。

子規も漱石も、なかなかの大食らいである。

子規は寝たきりとなった最晩年でも、3度の飯を4椀ずつ食べる合間に、菓子パン数個と果物数個をぺろりと平らげた。漱石は胃に弱点があったが、学生時代には芝居見物中にあれこれと御馳走を食べすぎて腹痛を起こすほどの自称「たら腹主義」。晩年、胃潰瘍に苦しみ、かつ医者や鏡子夫人に止められても甘いものがやめられなかった。

そのふたりの若き日だから、どんな勢いで牛鍋をつついたか、その食べっぷりを見てみたい気がする。

もうひとつ両人の食にまつわる共通点として、下戸ということが上げられる。ふたりとも、ほとんど酒をたしなまなかったのである。

それでもこの日のふたりは、珍しく多少の酒を酌み交わした。大学を去り新聞社入りをしようとする子規と、大学に残る漱石。人生の岐路に立ち別々の道を歩きはじめたような高揚した気分が、ふたりの胸を領していた。

この日、子規の詠んだ一句。

《酒のんで一日秋を忘れけり》

漱石先生、食べ過ぎて腹が苦しくなったのか、はたまた少し酔ったのか、いやそうしたこと以上におそらく胸の底になんだか別れがたく、まだ語り合いたい思いが残っていたのだろう、その夜はそのまま根岸の子規の家に泊まったという。

■今日の漱石「心の言葉」
たら腹主義を実行せし時こそ愉快なりしか(『書簡』明治24年7月9日より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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