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夏目漱石、門下生への手紙に文士としての気概を綴る。【日めくり漱石/10月26日】

3 夏目漱石 2

今から110 年前の今日、すなわち明治39年(1906)10月26日は金曜日であった。

39歳の漱石は東京・早稲田南町の自宅書斎で、前日、木曜会で顔を合わせたばかりの鈴木三重吉の寄越した手紙を読んでいた。柱時計の鐘が午前11時を知らせた。庭の菊がすでに花開いていた。

三重吉の手紙には、深夜それをしたためたことが記してあった。数時間前、ともに漱石邸に集って談論していた寺田寅彦や坂本四方太、松根東洋城らの印象も記してあった。そして、漱石に対し、自分に至らない点があったら叱ってほしい、教訓を与えてほしい、と懇請していた。

漱石は、

《そんなにほめる程のこともないが叱られる事もなかろう》

といった、やや軽めの調子で返書をしたためた。

《僕の教訓なんて、飛んでもない事だ。僕は人の教訓になる様な行(おこない)をしては居らん》

と、ちょっといなし気味の書き方もした。本音でもあったろうし、照れくささもあったのかもしれない。

午後3時過ぎにそんな第一信を投函したあと、漱石の胸の中に蠢(うごめ)くものがあった。自分をさらけだして思いをぶつけてきた若い門下生に対し、もう少し正面から受け止めた言葉を投げかけるべきではなかったか。

漱石はやおら筆をとって、三重吉宛ての第二信を書きはじめた。

《只(ただ)一つ君に教訓したき事がある。是(これ)は僕から教えてもらって決して損のない事である》

いきなりそう始めた漱石は、こう続けた。自分は青年時代までは世の中は結構なものだと思っていた、旨いものが食えて綺麗な着物が着られて、詩的な美しい生活ができると思っていた。

しかし、世の中は自己の想像とは正反対の現象でうまっている。そこを避けて通ることはできない。汚いものでも、不愉快なものでも、嫌なものでも、一切避けない、いやそれどころか、進んでその中へ飛び込んでいかなければ何もできないのである。

漱石はさらに、自己の文学に対する姿勢についても言及した。

《僕は一面に於て俳諧的文学に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈(はげ)しい精神で文学をやって見たい。それでないと何だか難をすてて易につき劇を厭(いと)うて閑に走る所謂(いわゆる)腰抜文学者の様な気がしてならん》

明治人にとって、「維新の志士」は遠い歴史上の絵空事のような人物ではなく、身近で血の通った先人である。この一文には、命懸けで文学に邁進しようとする漱石先生の気概が、まんまんと満ちている。

■今日の漱石「心の言葉」
覚悟をせねばならぬ。勤皇の志士以上の覚悟をせねばならぬ(『野分』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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