今から116 年前の今日、すなわち明治33年(1900)10月22日、33歳の漱石は一緒に渡欧してきた日本人留学生仲間とともに、パリのエッフェル塔に昇っていた。
300 メートルの高さを誇る、名高き鉄塔。その威容はもちろん、展望台へ人々を運ぶエレベーターも、彼らにとっては驚くべき文明の利器であった。
展望台の上から見はるかす宏大で繁華な街並みにも、思わず胸の内で驚嘆の声を上げずにはいられない。漱石は、かつては建築家になろうという志望を持っていたこともあった。それだけに余計に、堅牢な石造りを基礎としながら溢れるような優美さを見せる、宏壮な建築群に圧倒されていたのである。
1850年代から60年代にかけての、G・E・オスマンによる都市改造によってつくり上げられたこの美しい街並みは、骨格基盤をそのままに現今に受け継がれ、21世紀の旅人をも魅了し続けている。

漱石が訪れた1900年、万国博覧会開催中のパリの絵葉書。
漱石ら一行は、これ以前、現地で開催中の万博会場でも度肝を抜かれていた。余りにも大仕掛けで、何が何やら、方角さえも掴みかねるありさまだった。パリ滞在は1週間の予定だったが、この様子では万博会場だけに限っても、半月費やしても、見学しつくすことはできないだろうと思われた。
パリ市内は立派な馬車が行き交い、鉄道や地下鉄も網の目のように走っている。夜の大通りに出かけてみると、その賑やかさと明るさは、夏の夜の銀座の50倍くらいに感じられた。
この日の深夜、漱石は興奮さめやらぬままに、日本で待つ妻の鏡子へ宛てて手紙をしたためた。
《「パリス」ニ来テ見レバ其(その)繁華ナルコト是亦(これまた)到底筆紙ノ及ブ所ニ無之(これなく)就中(なかんずく)道路家屋等ノ宏大ナルコト馬車電気鉄道地下鉄道ノ網ノ如クナル有様(ありさま)寔(まこと)に世界の大都ニ御座候(略)名高キ「エフエル」塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候 是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱条ニテツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候》
自分の驚きと感動を早く妻に伝えたいという思いが、手紙文の行間ににじんでいる。
一方で、漱石先生、発達した文明社会が拝金主義と隣り合わせである危険も、早くも感じとっていた。
《欧州ニ来テ金ガナケレバ一日モ居ル気ニハナラズ候 穢(きたな)クテモ日本ガ気楽デ宜敷(よろしく)候》
同じ手紙の末尾の追伸に、つい、そう綴る庶民派の漱石先生なのだった。
■今日の漱石「心の言葉」
武士道が癈(すた)れて拝金道となれるに過ぎず。何の開化か、これあらん(『ノート』より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
県立神奈川近代文学館
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TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
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文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。
