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3 夏目漱石 2

今から122 年前の今日、すなわち明治27年(1894)10月16日、27歳の漱石は東京・小石川の伝通院の横手にある別院の法蔵院に下宿することになり、引っ越しをした。

漱石の気持ちの中に、何か不安定でしっくりこない感覚が蟠(わだかま)っていた。前年に大学を卒えた漱石は、大学院に進んで勉学を続ける傍ら、東京師範学校の教壇にも立っていた。表面的にはなんの問題もないように見えたが、人生そのものに対して深い煩悶を抱いていたのだ。

この少し前の正岡子規宛ての手紙(9月4日付)にも、

《理性と感情の戦争、益(ますます)劇(はげ)しく恰(あたか)も虚空につるし上げられたる人間の如くにて、天上に上るか奈落に沈むか運命の定まるまでは安身立命到底(とうてい)無覚束(おぼつかなく)候》

などと綴っている。

このころの漱石は、大学の寄宿舎を出て、一度は3歳年上の友人・菅虎雄のもとに厄介になっていた。菅はドイツ語が専門だが、参禅経験などを経て禅的境地に目覚めていた。その菅の家に身を置き、さらにその紹介で法蔵院に引き移ったのも、何か悩みに対する答えのようなものを掴みたい一心だったのだろう。

この日したためた、《所々流浪の末、遂に此所(ここ)に蟄居致候》という狩野亨吉宛ての転居通知にも、当時の漱石の苦しい精神状況の一端が覗く。後年、『処女作追懐談』の中にも、漱石はこう綴っている。

《卒業したときには、是(これ)でも学士かと思う様な馬鹿が出来上った。それでも点数がよかったので人は存外信用してくれた。自分も世間へ対しては多少得意であった。ただ自分が自分に対すると甚だ気の毒であった》

この数か月後には漱石は鎌倉の円覚寺にも参禅するが、悩みは容易にとけることはなかった。しかし、その悩みや違和感こそが、漱石先生の創作の原動力ともなっていったのではないだろうか。

ふと、作家の吉行淳之介が残した次のような言葉を想起する。

《人生が仕立ておろしのセビロのように、しっかり身に合う人間にとっては、文学は必要ではない》(『わたくし論』)
《なぜ小説を書きはじめたか、簡単にいえば、世の中に受け容れられない自分の感受性や感覚に場所を与えたいという気持ちがはじまりである》(『私の文学放浪』)

■今日の漱石「心の言葉」
幾多の芸術家は芸術家として常人よりも愚である(『草枕』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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