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3 夏目漱石 2

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)10月14日、漱石は朝6時にボーイに起こされた。

船室の中である。窓から島影が見える。「もう玄界灘は通りすぎたのだな」と漱石は思った。昨日、釜山港を後にしてから、もうすぐまる1日が経過しようとしていた。

まもなく船が停止した。漱石は馬関(下関)に到着したのかと思った。ところがこれは、検疫のための停船であった。

予定より30分ほど遅れて、午前8時、船は馬関の港に到着した。こうして『満韓ところどころ』の旅は、静かに終幕へ向かっていく。9月2日に新橋停車場を発して以来、まもなく1か月半が経とうとしていた。

馬関の港には、大阪朝日新聞の五十崎夏次郎が出迎えにきていた。下関停車場から東京方面へと向かう汽車の発車時刻までは、少し間があった。漱石は五十崎に案内を乞うて、下関の街を歩いた。

「あれが春帆楼です」

しばらくすると、五十崎がそう言った。彼の指し示す遠方に、堂々たる構えの建物があった。日清戦争の終結にあたり、日本側を代表する伊藤博文と清国全権の李鴻章の間で講和条約の締結会議が行なわれた場所であった。

その伊藤博文がこの日から2週間も経たぬうちに、漱石も足跡を刻んできたばかりのハルビン駅で暗殺されることを、漱石はまだ知る由もない。

講和条約の会議の場となった春帆楼は、建物を焼失し建て替えたりしながらも、現在も旅館として営業を続けている。

漱石と五十崎は、1時間ほど周辺をぶらついた。そうして下関停車場へ到った時に、漱石の胸の中に残ったのは「なんだか細長い街だ」という漠然たる印象だった。

汽車は午前9時30分の発車だった。一等客室には満鉄の大塚素(しるし)も乗っており、2日後に京都で落ち合い、紅葉狩りをしようと約束した。そう約しておいて、漱石は広島で途中下車した。広島市街を見物がてら、一高時代の友人の井原市次郎にも会っていきたいと思っていたのだ。

しかし市街見物に雇った人力車夫の諄々と述べたてる説明はうるさいくらいで、漱石は少々閉口した。

目的を果たした漱石は、その夜9時30分発の夜行寝台列車に乗り大阪へ向かった。42歳の漱石先生、なかなかの強行軍であった。

■今日の漱石「心の言葉」
よく思い切って旅に出掛けましたね(『行人』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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