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3 夏目漱石 2

今から121 年前の今日、すなわち明治28年(1895)10月12日、28歳の漱石は正岡子規の送別会に出席した。

会場は愛媛県松山市二番町の「花廼舎(はなのや)」という料理屋。漱石の下宿している上野家の離れ、名づけて「愚陀仏庵」での50日に及ぶ同居・静養生活に終止符を打ち、子規はいよいよ東京に帰ろうと決意していたのである。

出席者は、柳原極堂をはじめとする俳句結社「松風会」の面々。漱石と子規を含め総勢18名の会となった。

子規の『病餘漫吟』の中に、「留送別会」と題して、

《明治二十八年十月十二日松風会諸子余のために祖筵(そえん)を花廼舎に開く 競吟終り酒めぐる事三行戯れに坐中の諸子の雅名を読み込みて俳句十有七首を得たり》

とあるのは、まさにこの日のこと。花廼舎に集って皆で俳句を詠み合い、酒も酌み交わし、その後、子規は風流心から、仲間17人ひとりひとりの雅号を織り込んで作句をしたというのである。いかにも子規らしい。

漱石は、席上、子規のために次のような送別の5句を詠んだ。

《疾く帰れ母一人ます菊の庵》
《秋の雲只むらむらと別れ哉》
《見つゝ行け旅に病むとも秋の不二》
《この夕野分に向て分れけり》
《お立ちやるかお立ちやれ新酒菊の花》

東京で待つ母親のもとに早く帰りなさい。折角だから旅の途中、天下の明峰・富士も仰いでいけばいい。病を抱えていても見るべきものは見ていくさ。さあ、お立ちなさい。

別離の哀しさを飲み込んで、友の背中を押し励ますような心持ちがあふれている。

一方の子規の留別の句。

《送られて一人行くなり秋の風》

そこには、友人たちへの感謝の念とともに、一抹の淋しい風が吹いている。

実際に子規が松山を離れ東京へ向かったのは、この7日後。漱石のもとに残された置き土産は、ともに過ごした友情の日々の余韻と、子規が勝手にとって食べまくっていた鰻の蒲焼の出前の勘定書き。漱石はさらに、東京までの路銀の足しとして子規に10円の餞別を渡した。

この10円を元手に、途中、奈良見物をすることで、子規畢生の名句《柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺》が生まれることになる。

■今日の漱石「心の言葉」
一つ送別会を開こう、君を愉快にするために(『明暗』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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