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夏目漱石、欧州行き汽船の中で英国女性からお茶に誘われる。【日めくり漱石/10月4日】

3 夏目漱石 2

今から116 年前の今日、すなわち明治33年(1900)10月4日の午前中、33歳の漱石はヨーロッパへ向かう汽船プロイセン号の甲板で、椅子に腰かけ本を読んでいた。空は晴れていたが、風がときおり強く吹いていた。

突然、西洋訛りの女性の声で「夏目さん」と呼びかけられたのは、そんな折だった。漱石が顔を上げると、そこにはイギリス海軍大佐夫人のミセス・ノットが立っていた。

ミセス・ノットは熊本の救癩病院で働いていたイギリス人宣教師グレイス嬢の母親であり、漱石は熊本で面識を得ていた。

「明日の午後、お茶を飲みにきませんか?」

夫人は英語でそう告げた。漱石もこの好意を受け入れた。

たまたま同じ船に乗り合わせて互いに顔を合わせたとき、ミセス・ノットは自分は上等船室の方にいるから訪ねてきてくださいと、漱石に声をかけていた。何日経っても漱石が訪問してこないので、夫人は自分の方から漱石を探しにきたのだと言った。

夫人は声が低く早口だった。簡単な挨拶程度ならいいのだが、こみいった内容となると聞き取りづらい部分がある。だから、翌日3時半からの、ミセス・ノットの上等船室を訪れてのティー・タイムでは、漱石はちょっと神経をつかった。

それでも、思わぬ収穫があった。苦労しながらも話をしていると、ケンブリッジ大学の関係者に夫人の知己がいることを聞き出せたのである。漱石は早速、ぜひその人あてに紹介状を書いてもらえないかと依頼した。

「イギリスに着いたら、書くようにしましょう」

夫人は快諾して、そう言ってくれた。ここに至って漱石は、留学生としての自分の学舎はたぶんケンブリッジ大学になるだろうと思ったという。

文部省派遣の給費留学生なのに、予めこうした段取りがまったくつけられている気配がないのは、今の感覚からすると驚きだ。「満二か年の英国留学を命ず」などという辞令を発しながら、どこでどう学ぶか、中身は当人任せの出たとこ勝負なのだ。

ミセス・ノットは、同席した外国人の誰彼に漱石を紹介しながら、漱石に対し「あなたは英語が上手ですね」という褒め言葉も投げかけた。

夫人の早口の英語の聞き取りに四苦八苦している我が身、思わず赤面してしまう漱石先生だった。

■今日の漱石「心の言葉」
英語の発音をなだらかにする場合には稽古として音読することもあろう(『現代読書法』より)

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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