サライ.jpで連載中の『日めくり漱石』(文/矢島裕紀彦)では、漱石先生ありし日々の逸話を毎日紹介していますが、妻・鏡子さんにまつわるエピソードも多々登場してきました。
今回はその中から、とくに印象的な回をダイジェストしてまとめてお伝えします。いずれも、鏡子さんの人となりや、夫・漱石との間柄がよくわかるお話です。
■1: 夏目漱石、熊本の借家で小さな小さな結婚式を挙げる。【日めくり漱石/6月9日】
明治29年(1896)6月9日、夏目漱石は鏡子さんと結婚式を挙げました。結婚式の会場は、熊本市下通町(通称・光琳寺町)にある漱石の自宅離れの6畳間でした。賑やかな披露宴などもない、ささやかな結婚式だったそうです。
■2: 夏目漱石、父になる!長女の命名にこめた切なる願いとは。【日めくり漱石/5月31日】
明治32年(1899)5月31日、漱石と鏡子さんとの間に待望の第一子の女の子が誕生しました。以前に流産を経験していた漱石夫妻にとって、無事に新しい命の誕生を迎えられた感慨はひとしおでした。
■3: おまえが恋しい!英国留学中の夏目漱石が妻に送った恋文【日めくり漱石/5月2日】
明治34年(1901)5月2日、英国留学中の漱石の元に、日本に残してきた鏡子さんから手紙が届きました。同封されていた妻子の写真を見て、思わず筆を執った漱石先生でした。
■4: 夏目漱石の妻が心底うんざりした、夫のお洒落にまつわる事件とは【日めくり漱石/4月4日】
大のおしゃれだった漱石先生は、鏡子さんの着物にまで口を出すことがあったそうです。あまりのこだわりぶりに、鏡子さんもうんざりさせられこともあったそうで……。
■5: 夏目漱石、深夜に胸の苦しみを訴える妻に見せた夫の優しさ。【日めくり漱石/4月21日】
明治42年(1909)4月21日の深夜2時頃、「胸が苦しい」と訴える鏡子さんを介抱する夫・漱石。具合はなかなか落ち着かず、意を決した漱石先生は、鏡子さんのために深夜の街に飛び出しました。
■6: 病床の夏目漱石、傍らでは鏡子夫人が医師に厳しく詰め寄る。【日めくり漱石/8月20日】
明治43年(1910)8月20日、43歳の漱石は伊豆・修善寺の菊屋旅館の一室で横になっていました。胃潰瘍の入院治療のあと、転地療養のためこの地に来ていたのです。別室で医者に詰め寄る鏡子さんの口調は、いつにない厳しいものでしたが、果たしてその理由は?
■7: 夏目漱石、負けん気の強い妻・鏡子と容姿の欠点を笑い合う【日めくり漱石/3月16日】
明治44年(1911)3月16日の夕刻、夏目家を訪ねてきたひとりの青年を前に、夏目夫婦の他愛のない、しかし和やかな会話が交わされました。漱石山房の平穏な一日が感じられるエピソードです。
■8: 夏目漱石、妻・鏡子の粋な計らいで京都旅行に出かける【日めくり漱石/3月19日】
大正4年(1915)3月19日、数え49歳の漱石は、東京駅から汽車に乗って京都旅行に出かけました。実はこの旅行、鏡子夫人の「ある計らい」が発端になっていたのでした。
■9: 夏目漱石、夫の見舞いで京都に来たはずの妻が観光に夢中でむくれる【日めくり漱石/4月2日】
大正4年(1915)4月2日、旅先の京都で倒れた漱石先生。東京から鏡子夫人を呼び寄せますが、せっかく来てくれた鏡子さんのある一言で、急にむくれてしまったそうです。その言葉とは?
以上、「日めくり漱石」のこれまでの記事の中から、鏡子夫人にまつわるエピソードの回をピックアップしてご紹介しましたが、いかがでしょうか? どれも鏡子さんの人となりや、漱石との関係性がよくわかる逸話ではないでしょうか。
漱石先生のエピソードをもっと読んでみたい方は、ぜひ「日めくり漱石」の過去の記事をお読みください!
【関連リンク】
※ 夏目漱石ありし日々の面白エピソードを毎日連載!『日めくり漱石』
文/編集部
