3 夏目漱石 2

今から103 年前の今日、すなわち大正2年(1913)9月17日、46歳の漱石は小説『行人』の単行本出版に関連して、門弟で東京帝国大学の学生である岡田耕三(のちの林原耕三)へ連絡の手紙を書いた。

《小生の行人も本屋で着手してもよいと報知してやらねばならぬ時機となり候処、君は検定の為大分多忙のように見え候が御都合は如何にや、もしお差支あらば内田が是非やらしてくれと云うているからあちらへまわそうと思います。然し内田は月々の小使に困るのでないから君の都合さえつけば君に譲る積だろうと思う》

大倉書店より刊行された『行人』の単行本(大正3年1月刊)。装幀は橋口五葉。神奈川近代文学館蔵

大倉書店より刊行された『行人』の単行本(大正3年1月刊)。装幀は橋口五葉。神奈川近代文学館蔵

『行人』は漱石が前年の12月6日から東京と大阪の朝日新聞に連載を開始し、漱石の体調不良のために4月7日で中断していた。この2日前の9月15日に「『行人』続稿に就て」という原稿を同紙に掲載して、近く連載を再開することを読者に告知していた。

漱石は当初、間があいてしまったので、続きの原稿は新聞紙上には載せず、単行本の方で読んでもらえればいいだろうと考えていた。

そのつもりで、7月半ばから続編(塵労)の執筆準備にとりかかっていた。ところが、朝日の方で、中断後の続稿を新聞紙上に掲載しても読者はさほど戸惑わないし、むしろ読みたい人も多いのではないかという話になり、この翌日(9月18日)から連載再開予定となっていた。

一方で、単行本の発行元は大倉書店ということで下話が進んでいた。新聞連載再開という形をとるにしろ、大倉書店の方へは連絡をして、そろそろ発刊に向けた編集作業にとりかかってもらう必要があった。

漱石は、単行本をまとめる際には、門弟の誰かに校正を手伝ってもらうことが多かった。門弟たちからいえば、勉強にもなり、また出版元から支給される手間賃は彼らの学資や生活費の足しにもなるのだった。

手紙文中の「内田」は、このころ東京帝国大学に在籍している内田栄造。のちに『百鬼園随筆』『阿房列車』などのユーモラスな随筆や短編集『冥土』に見られる夢幻的小説で名をなす内田百間を指す。

百間(内田栄造)の実家はもともと岡山の裕福な造り酒屋で、百間が中学時代に倒産したとはいえ、小遣いに窮しているようには見受けられなかった。アルバイトをする必要性は岡田耕三の方が高い。漱石はそう認識し、優先順位をつけて気配りを働かせていたのである。

漱石の推測通り、岡田耕三は多忙で校正の手伝いにまで手が回らなかった。結局、その任には内田百間が当たった。

■今日の漱石「心の言葉」
いくら心配してもなるようにしかならんものだから、そうあくせく焦慮しないがいいでしょう(『書簡』大正元年8月15日より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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