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3 夏目漱石 2
今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)8月25日、漱石は伊豆・修善寺の菊屋旅館の部屋で布団の上に横たわっていた。昨日、大量の吐血をして危篤状態に陥り、そのまま床についていたのである。傍らには、妻の鏡子が付き添っている。

この日の早朝、午前5時50分に新橋停車場を出る東海道線の一番列車に、漱石の3人の娘たち、筆子、恒子、栄子の姿があった。漱石の兄・直矩、漱石の姉夫婦(高田ふさ、庄吉)、鏡子の弟・中根倫といった親戚、さらに友人で『ホトトギス』編集発行人の高浜虚子、門下生の森田草平、野上豊一郎らも同じ列車に乗っていた。三島、大仁を経由して、目指すのはもちろん修善寺。皆が皆、一様に緊張した面持ちだった。

彼らに先んじて、菊屋旅館に一番最初に到着した見舞い客は、漱石門下の安倍能成だった。能成はたまたま前日、沼津の千本松原にいたため、いち早く駆けつけることができたのである。

世の多くの女性陣と同じく、普段から占い好きで、何かとゲン担ぎなどもしたがる鏡子は、藁(わら)にでもすがりたい気持ちも手伝って、この際、ふとした思いつきで安倍能成の名前を読み替えてみることにした。

「アンバイ・ヨクナル」

確かに、そう読むこともできる。これは、きっと漱石が持ち直して回復することを意味しているに違いない。鏡子は自分自身にそう言い聞かせてみるのだった。

東京朝日新聞主筆の池辺三山と、漱石門下の野村伝四は、新橋午前8時40分発の二番列車に乗った。大磯からは学生時代の友人・大塚保治も駆けつけてくる。

昨日は一時完全に意識を失い死に瀕した漱石の容態は、危うい中にもとりあえず落ち着きを見せているようだった。少しくらいは口もきけるようになっていた。

「体も動かされず、物も食えないから、少し眠りたいんですが」

医師の森成麟造に囁くようにそう言って、目を閉じる。だが、眠りは浅く、しばらくすると目が醒めてしまうのだった。
けっして油断できる病状ではない。何が起こってもおかしくない。医師は、出血を止めるための注射を数時間おきに打ち、夜には栄養補給のために牛乳の滋養浣腸が施される。

漱石はただなされるがまま、体を横たえている。

急変がくることのないよう祈りながら、夜中も交代での付き添いが続く。皆が重苦しい空気の中で、息をつめるように漱石の容態を見守っていた。

■今日の漱石「心の言葉」
病気の時には自分が一歩現実を離れた気になる(『思い出す事など』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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