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3 夏目漱石 2

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)8月19日、大阪の空は朝から晴れ渡り、暑い1日が始まろうとしていた。

44歳の漱石は、宿泊している旅宿「紫雲楼」から大阪朝日新聞社へ連絡して、

「どこか胃腸病院を紹介してくれませんか」

と申し入れをした。同社主催の講演会で各地を回り、昨夜遅く中之島公会堂で最後の講演『文芸と道徳』を終えていた。公会堂へ向かう前から胃の調子が悪く、薬を飲みながらなんとか講演は終わらせたものの、深夜の旅室で嘔吐していた。

漱石が紹介されたのは、大阪市内の湯川胃腸病院だった。院長は湯川玄洋。関西医学界では第一人者であった。ちなみにこの人は、のちにノーベル賞物理学者・湯川秀樹夫人となる湯川スミの実父でもある。

漱石の病状は予断を許さず、すぐに入院となり、翌20日には絶対安静を言い渡された。大阪朝日から東京朝日を経て、漱石の妻の鏡子にも連絡が回る。鏡子が病室に駆けつけるのは21日の夜のことであった。東京・大阪間は、当時、急行列車でもたっぷり12時間ほどの時間を要した。

病室の漱石は、思ったよりも元気そうで、鏡子はほっとした。と同時に、傍らに見舞いの菓子箱が置いてあるのを見つけ、つい声を尖らせた。

「大阪では菓子の持ち込みを許しているのですか」

そばでこの様子を見ていて思わず首をすくめたのは、大阪朝日新聞社員にして、漱石の熊本五高時代の教え子でもある高原操だった。後年、このときのことを回想し、《奥さんは厳(きつ)かつた》(『師匠と前座』)と書き残している。

とはいえ、鏡子が怒るのも無理はなかった。自分は汽車の中でも、心配で心配で気を揉みどおしであった。前年には、いわゆる「修善寺の大患」をくぐり抜けたばかり。それが、病院に着いてみると、胃を患って倒れている病人の傍らに菓子箱が積んである。東京の長与胃腸病院では、治療中の病人が勝手に菓子を食べたりしないよう、持ち込みを厳しく禁じていたではないか。

漱石は、高原操が恐縮しきっている様子を横目にしながら、鏡子を宥(なだ)めるような調子で言った。

「まあ、そう言わんでもよかろう。うちを出る時、お前はお守り札をカクシへ入れてくれたが、それでもこうして病気になった」

そして、自分のことは心配ないから今晩はもう宿へ帰って休みなさいと、遠路かけつけてくれた鏡子をいたわるのだった。

■今日の漱石「心の言葉」
旅にやむ夜寒心や世は情(『俳句』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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