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3 夏目漱石 2

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)8月16日、42歳の漱石は朝一番で小石川久堅町の菅虎雄の家を訪れた。お産のあと7月初めから体調を崩していた菅虎雄(すが・とらお)夫人の静代が、前の日(8月15日)に病没した。その知らせを聞きつけ、ともかくも弔問のためかけつけたのだった。

菅虎雄は、学生時代からの親しい友人。漱石は大学卒業後の一時期や、熊本五高に転任直後の数か月を、彼の家に同居させてもらっていた。煩悶を抱え参禅したいという漱石のために鎌倉・円覚寺への紹介状を書いてくれたり、胸の病に罹患したのではないかと心配になった漱石を北里柴三郎博士のところへ連れていってくれたのも、この人だった。漱石が朝日入りして最初の小説『虞美人草』の取材を兼ねて京都へ旅したとき、市内の寺社や比叡山へ案内したのも菅虎雄だった。

菅夫妻の間には子供も多かった。上の3人の子は、漱石もよく知っていた。熊本時代の漱石は、とくに菅夫妻の長男で当時4~5歳だった重武を可愛がり、自ら抱き上げては不器用な調子で、

「米が10銭すりゃヤッコラヤノヤ」

という妙な歌をうたいながら、しきりにあやしていた。

その後、英国留学から帰国する際には、重武の弟妹に当たる長女・フミコ、次男・忠雄のために、漱石は土産として絵本を持ち帰ってもいる。

そんな子供らを残していく夫人もさぞや心残りだったろうし、あとを引き受けていく虎雄の寂しさや大変さも思いやられる。漱石は友を慰め励ましながら、自分自身も、重く沈鬱な気分にならざるを得ないのだった。

帰宅後、漱石は、避暑のため千葉に出かけている友人の畔柳芥舟(くろやなぎ・かいしゅう)へ手紙をしたため、こう書いている。

《拝啓 当地暑気少々ゆるみやや凌ぎよく相成り候。御地は如何。菅の細君長々病気のところ十五日死去、気の毒に存じ候。小供沢山にて大弱りの体》

菅夫人の葬儀はこの2日後、龍岡町(湯島)の麟祥院で執り行われた。漱石は、友人の大塚保治とともに出かけた。他にも、顔見知りの人が多く参列していた。そんな中、小さな子供たちが亡き母の霊前で焼香する姿を見るにつけても、つくづく気の毒で胸のつまるような思いを感じる漱石先生だった。

■今日の漱石「心の言葉」
亡き母の思はるる哉(かな)衣がへ(『俳句』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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