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3 夏目漱石 2

今から111 年前、つまり明治38年(1905)の夏、38歳の漱石は目の回るような忙しさを感じていた。

当時の漱石は、東京帝国大学と第一高等学校で講師をつとめ、明治大学の教壇にも立っていた。その一方で、雑誌『ホトトギス』に連載中の『吾輩は猫である』の評判によって文名が日増しに上がり、あちこちの雑誌や新聞から執筆依頼やら談話筆記の取材やらが舞い込んでいた。

その上、若い門弟たちは漱石を慕って始終出入りしている。大学を卒業した教え子たちは、就職の相談に訪れ斡旋を頼んでくる。自作の小説を見てもらってアドバイスをもらったり発表の場を紹介してもらいたいと考え、原稿を持ち込んだり送ったりしてくる者までいた。生真面目な漱石は、いい加減に手を抜くことができず、ひとつひとつにきちんと向き合って対応しようとするので、自然、多忙な中にも多忙を極めるのであった。

それは、たとえば、次のような手紙(明治38年7月15日付、中川芳太郎あて)からも読み取れる。

《一昨日迄は入学試験の監督を仰せつけられる。うちへ帰ると今年卒業の諸先生が口の為めに談判にくる。(略)新小説の社員が来て戦後の文壇に対する所感を聞かせろという。中学世界で世界三十六文豪を紹介するから沙翁を受持てという。中央公論のチョイン先生がきて何かかけという。隆文館が来て猫を出版させろという。金尾文淵堂なるものが何か出版するから書けという。そして来年の講義は作らねばならず》
(文中の「チョイン先生」は、中央公論の編集者・滝田樗陰のこと)

こうした夏を過ごしてきた8月4日、漱石は、門弟で東京帝国大学学生の野村伝四が避暑地の大磯から送ってきた手紙への返信の葉書に、とうとう悲鳴を上げるような調子でこう書き綴った。

《事業山の如く多く、時間かくの如く短かし。僕が二人になるか一日が四十八時間にならなくては到底駄目だ。猫も何も書けそうにない》

差出人としての署名は、「漱石」でも「夏目金之助」でもなく「こまる先生」とした。時間に追いまくられながらも、ユーモアを忘れぬ漱石先生である。

■今日の漱石「心の言葉」
不平をいうと人間は際限がない(『書簡』明治38年7月15日付)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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