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3 夏目漱石 2

今から102 年前の今日、すなわち大正3年(1914)8月1日、47歳の漱石は折からのうだるような暑さの中、書斎でパンツ1枚になって座机に向かっていた。そうして、午前中に朝日新聞に連載中の小説『心』(『こゝろ』『こころ』などと表記されることも少なくない)の、第 110回の原稿を書き上げていった。これが最終回だった。

続いて漱石は、この原稿を東京朝日新聞の山本松之助に送るべく、添え文を綴る。

《拝啓 私の小説は今日差上げるので漸く片付きました。次の予告のうちに短篇をいくつか書く筈(はず)のところ最初のものが長くなつたから已(や)めると断って下さいませんか》

この文章の意味するところは何か。

実は、新聞連載を始める前の『心』の予告文に、漱石は、

《今度は短篇をいくつか書いて見たいと思います。その一つ一つには違った名をつけて行く積(つもり)ですが予告の必要上全体の題が御入用かとも存じます故それを「心」と致して置きます》

と記していた。当初の構想では、この小説は、いくつかの短篇を連ねてひとつのまとまった作品となるように仕立てるつもりでいたのである。

ところが、第1の短篇のつもりで始めた『先生の遺書』を書き込んでいくうちに、簡単には片付かないことを悟った。それどころか、書き継いでいるうちに、とうとうその一篇だけで押し通すことになってしまった。おそらく、物語中の「先生」に対する切実なほどの自己投影が、早々に話を転換することを許さなかったのだろう。

このように当初の予定とは異なる展開となってしまったことを、小説欄の次の作品の予告文の中で、ちょっと読者に伝えてもらいたいと、律儀者の漱石は思ったのである。

ちなみに、後日、この連載が単行本としてまとめられる際には、全体を3つの章(姉妹篇)としてとらえ直し、それぞれに『先生と私』『両親と私』『先生と遺書』というタイトルが付されることとなった。

物語の終末は、明治天皇が崩御し、明治という時代の終焉を迎えた「先生」が、

《明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは畢竟(ひっきょう)時勢後れだ》

と感じ、愛のために友人Kを死なせた罪の意識を抱えながら、自ら死に赴くことを「私」に伝える文章で余韻深く結ばれている。

明治改元の9か月余り前に生まれ、明治とともに年齢を積み重ねてきた漱石自身の声が、その奥底に静かに響いている。

■今日の漱石「心の言葉」
私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供する積(つもり)です(『心』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

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