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夏目漱石、自宅に無名の新人・志賀直哉の訪問を受ける。【日めくり漱石/7月10日】

3 夏目漱石 2

今から102 年前の今日、すなわち大正3年(1914)7月10日、47歳の漱石は自宅書斎で志賀直哉と対座していた。

このとき直哉、31歳。同人誌『白樺』の仲間である里見トンとともに、島根県の松江で暮らしていた。その松江からはるばる上京し、漱石山房を訪れたのである。

「まことに申し訳ありません」

直哉が真っ正直に頭をたれるのを、16歳年長の漱石も正面から受け止め、

「そういうことなら致し方ありませんが、まだ少し時間もあることだし、もう一遍よく考えてみたらどうでしょう」

と応じる。

のちには「小説の神様」とも称される志賀直哉だが、このときは前年に第1創作集『留女(るめ)』を刊行したばかり。まだ新進の、ほとんど無名に近い存在だった。漱石はその直哉の才能を逸早く見抜き、朝日新聞の連載小説の書き手に抜擢しようとした。自身が執筆連載中の『心』の後に掲載していく予定で、社の方とも調整をつけていた。

文筆家として立っていこうと志す身には、願ってもないご指名。大きなチャンスである。直哉はいったんはありがたく引き受けた。ところが、いざ原稿用紙に向かうとどうしても思うように筆が運べない。1日、また1日と、もがきながらも筆が進まぬ日々が積み重なっていく。このままでは、新聞紙面に穴があいてしまう。それでは、折角の漱石の好意を踏みにじることになる。

思い余った直哉は、とうとうこの日、漱石を訪ねた。漱石は直哉の言葉に理解を示しつつ、残念という気持ちも強く、再考を促したのであった。

結局、直哉の意志は翻ることはなかった。いや、したくてもできなかった。直哉は後年、このことを振り返り次のように書いている。

《夏目さんには敬意を持っていたし、自分の仕事を認めて呉れた事ではあり、なるべく、豆腐のぶつ切れにならぬよう書くつもりでも、それまでが白樺の同人雑誌で何の拘束もなしに書いて来た癖で一回毎に多少の山とか謎とかを持たせるような書き方は中々出来なかった。(略)私は段々不安になって来た。若し断るなら切羽詰らぬ内と考え、到頭、その為め上京して、牛込の夏目さんを訪ね、お断りした》(『続創作余談』)

新聞小説は、限られた分量の原稿を毎日掲載しながら、全体のストーリーを展開していく。そんな拘束の中で、なおかつ、毎回、読者を惹き付けるような仕込みをしなければいけない。同人誌で制限もなく、好きなように書き下ろしで小説を書いてきた直哉には、そうした書き方が、どうしてもできなかったというのである。

ふと漫画家・手塚治虫のエピソードを想起する。手塚治虫は、関西の「赤本」と呼ばれる余り質のよろしくない漫画単行本の世界から漫画家生活をスタートさせた。書き下ろしの単行本なので、ストーリーの展開とか分量にこれといった制限がなく、自由にのびのびと描いていた。ところが、その後、東京の大手の漫画雑誌の連載を始めると、今までと勝手が違った。毎回の決められたページ数の中で、ヤマ場をつくりながら話を進めていくことに苦心したのだという。逆にいえば、赤本からスタートしたことが、手塚治虫の若い才能をのびのびと延ばすのにひと役買ったとも見られるのである。

話を、漱石と志賀直哉のことに戻す。

直哉はこの折の漱石への不義理を深く心に留め、「何かいいものが書けたら真っ先に朝日に」という考えを持ち続けた。そのことが足かせとなって、その後の数年間、直哉は筆が滞り作品を発表できなかった。そして、思いが果たせぬうちに、大正5年(1916)の末、とうとう漱石は冥界へ去ってしまった。

直哉が短篇小説『佐々木の場合』を書き上げたのは、漱石没後まもない大正6年(1917)春。雑誌発表の際には、その冒頭に「亡き夏目先生に捧ぐ」という献辞を付した。ここから直哉は、堰を切ったように作品を発表していく。

■今日の漱石「心の言葉」
文学は、人生そのものの大反射だ(『三四郎』より)

 

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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