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3 夏目漱石 2

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)7月3日は、相変わらずの雨だった。梅雨時で、ここのところ連日のような雨模様。手足にふれるものことごとくがジメジメして心地悪く、気分もくさくさしてくる44歳の漱石だった。

午後2時頃、門弟の寺田寅彦が現れた。

「夕方から第五の出身者が5、6人集まって上野の精養軒で飯を食おうと言ってるんですが、先生もいらっしゃいませんか?」

寅彦のそんな誘いを受け、この雨では億劫だとも思ったのだが、しばらくの雑談のあと思い切って一緒に出かけることにした。「第五」とは、熊本の第五高等学校のこと。漱石が英国留学前に教壇に立っていた学校である。

岩波文庫の『寺田寅彦随筆集』。寺田寅彦はノーベル賞級のすぐれた物理学者である一方、漱石の導きのもと随筆家としての才能も開花させ、「科学随筆」とでも呼ぶべき新ジャンルを拓いた。

岩波文庫の『寺田寅彦随筆集』。寺田寅彦はノーベル賞級のすぐれた物理学者である一方、漱石の導きのもと随筆家としての才能も開花させ、「科学随筆」とでも呼ぶべき新ジャンルを拓いた。

精養軒には、東京帝国大学教授の田丸卓郎、同助教授の木下季吉、内丸最一郎、大蔵省専売局技師の野並亀治、水産講習所所長の石崎芳吉といった面々が顔を揃え、漱石と寅彦を加えると計7人での賑やかな会食となった。田丸卓郎は漱石と同じくかつて五高の教壇に立っていて、寅彦に物理と数学を教えた「もうひとりの恩師」である。

会食の席では、漱石が熊本にいた頃の懐旧談に花が咲き、木下季吉が漱石に叱られた思い出話を披露し、笑いを交えてこう続けた。

「こないだうち、先生が長与胃腸病院に入院されているという話を伝え聞いてお見舞いにうかがおうかとも思ったのですが、昔、五高でこっぴどく叱られた時のことを思い出すとなんだか恐くなって、つい行きそびれてしまいました」

熊本時代の漱石先生、生徒を叱るときには、なかなか厳しかったようだ。半面、何年もの時を経て、こうしてその先生と一緒に和やかにテーブルを囲んでいるのだから、その厳しさの裏に愛情ややさしさが通っていることも、生徒たちには伝わっていたのだろう。

楽しい会食を終え、店を後にしたのは夜9時過ぎ。寅彦が市電の最寄駅の江戸川橋まで送ってくれた。くさくさしていた気分も、どこかへ吹き飛んでいる漱石先生だった。

ちなみに、上野精養軒は、いまも上野公園の一隅で、営業を続けている。漱石や寅彦の時代に思いを馳せ、西洋料理を味わってみるのもいいだろう。

■今日の漱石「心の言葉」
遠い昔が何だかなつかしいような気持のするものが書きたい(『野分』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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