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3 夏目漱石 2

今から104 年前の今日、すなわち明治45年(1912)6月29日は土曜日だった。

45歳の漱石は、学生時代からの旧友で、いまは満鉄総裁をつとめる中村是公(なかむら・ぜこう)と一緒に鎌倉へ出かけた。是公の別荘が長谷の光則寺の近くにあり、月曜までの3日間を、そこでともに過ごそうという話になっていたのだ。前年夏(明治44年7月21~22日)に引き続いてのことだった。

付近に立ち並ぶ別荘の前を歩いていると、その生垣には、厚い光沢のある葉をつけた珊瑚樹(さんごじゅ)が多いのが目についた。土地の地質と相性がいいらしく、発育がよく、随分と大きなものもあった。

東京からもさほど遠からぬ位置にあり、豊かな自然と歴史を擁するこの古都・鎌倉を、漱石は気に入っていた。この少し後には、子供らを、ひと夏この地で過ごさせるため、材木座付近に古い家を借りている。漱石自身も仕事の合間を縫って出かけてきては、海水浴などを楽しんだ。門下の寺田寅彦(てらだ・とらひこ)や松根東洋城(まつね・とうようじょう)を鎌倉に誘い出そうとして、こんな手紙も書いている。

《小生月の初に鎌倉へ参り、両三日逗留(略)久し振に海に入るのはよい心持に候。海を見ただけにても気分が晴々致候。いつかちょっと行って黒くなろうじゃありませんか(もし君と僕がこの上黒くなる余地ありとすれば)以上》(寅彦あて)

《子供は鎌倉にいる。実に狭いきたない家だが山と松と見える。もしひまなら一緒に行こう。一晩くらいとまるのも一興に候》(東洋城あて)

さて、漱石と是公は、この滞在期間中、江ノ島の岩屋も探訪した。江ノ島は、時を逆上ること28年、まだふたりが大学予備門(一高の前身)に在籍していた当時、他の学生仲間とともに東京・神田から徒歩遠足を企てた思い出の地でもあった。

岩屋へ入る手前の橋のところで、若い男女ふたりが引き潮の岩の上で、貝かなにかを探している姿が目についた。帰りがけ同じところを通ると、傘や足袋、風呂敷は置いてあるけれど、男女の姿が見えない。

「まさか入水でもなかろう」

そんな話をしながら、漱石らの胸に妙に不安な気持ちがよぎる。

だが、少し進むと、岩の陰に、相変わらず夢中になって何かを探している様子の男女がいた。無事の姿が確認でき、まるで彼らの親のような心情で、ほっと安堵して胸をなでおろす漱石先生と中村是公だった。

■今日の漱石「心の言葉」
時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりに出かけるつもりでいる(『吾輩は猫である』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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