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3 夏目漱石 2

夏目漱石の次兄で電信中央局で働いていた夏目直則(なおのり)の葬儀が行われたのは、今から129 年前の明治20年(1887)6月23日のことだった。亡くなったのは2日前。29年に満たない生涯。漱石はまだ20歳、一高の学生だった。

長兄の大助も、これより3か月前に病死していた。夏目家では、家督相続を、三男の直矩(なおかた)にするか五男で末子の漱石にするかという問題が生じた。四男の久吉は4歳で早々と没していたため、5人あった男子のうち残ったのはふたりだけになっていたのである。

夏目家定紋付二段重箱。「平井筒(井桁)に菊」という夏目家の紋が金蒔絵であしらわれている。父親の代まで近在の名主をつとめていたという夏目家の風格が感じられる。神奈川近代文学館所蔵

夏目家定紋付二段重箱。「平井筒(井桁)に菊」という夏目家の紋が金蒔絵であしらわれている。父親の代まで近在の名主をつとめていたという夏目家の風格が感じられる。神奈川近代文学館所蔵

漱石は幼い頃、いったん塩原家に養子に出されたが、養父母の離婚に伴って塩原家に在籍のまま夏目家に引き取られていた。そこには長兄・大助の意志も働いていた。

大助は生前、

「自分は病身で妻を迎えることもできぬから、金之助(漱石)を自分の養子にして跡をとらせようか」

そんなふうに言って、漱石を養家から引き取った経緯があったという。

父親の直克は70歳となり、すっかり老け込んできていた。また、三男の直矩は道楽者だし、真面目で成績優秀な漱石の方が、将来、家督を継ぐのにふさわしいのではないか。そんな話が、夏目家の中でなされていたということだろう(じつのところ、他のふたりの兄も、なかなかの道楽者だったらしいが)。

結局は、漱石を大助の養子にするという手続きがなされないうちに、長兄・大助と次兄・直則が相継いで身罷っていた。三男の直矩も、そうした話があったのは知っているから、漱石に向かって「お前が夏目家の跡をとるか?」と尋ねた。

漱石は答えた。

「こんな家の跡を取るのは嫌だ」

かつて近在の名主をつとめる家柄だった夏目家の家運は、衰退に向かっていた。でも、それ以上に、漱石がそんな突き放した物言いをしたのは、兄への遠慮と自身の独立心によるところが大きかったのではないだろうか。

結局、家督は直矩が継いだ。

一方で漱石も、この翌年には夏目家に復籍している。

■今日の漱石「心の言葉」
門外漢から見ると気の知れない道楽のようであるが、当局者だけは至当のことと心得ている(『吾輩は猫である』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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