サライ.jp

3 夏目漱石 2

今から100 年前の今日、すなわち大正5年(1916)6月14日、漱石は、長女・筆子のピアノ教師である音楽家の中島六郎からの手紙を受け取った。

長い手紙を読み進めながら、漱石の顔には戸惑いと不快の表情が浮かび上がった。手紙には、どんな行き違いからか、漱石には意味不明の、咎(とが)め立てするような調子の文言が書き連ねてあったのだった。

西洋の音楽家ばりに長い髪を縮れさせたこの中島六郎のもとで、漱石が筆子に音楽の習い事をはじめさせたのは、これより8年前(明治41年)の10月、筆子9歳のときだった。

それ以前は琴を少しやっていたのを、中島六郎のもとで洋楽に転じ、はじめはヴァイオリンを習い、まもなくピアノに転向した。このピアノ教師の強い勧めもあって、漱石は翌明治42年(1909)6月には筆子のためにピアノも購入している。日本楽器製造株式会社製。価400 円。小説『三四郎』の単行本、初版2000部の印税がこのピアノの購入費用に充てられた。漱石はそれだけ、愛娘の音楽教育に力を入れていたのである。

ピアノ教師からの思わぬ内容の手紙に対し、漱石は戸惑いと不快の念を鎮(しず)めつつ、返書をしたためた。

《長い手紙で御譴責(ごけんせき)を蒙(こうむ)りまして恐縮の至であります。

あれを拝見すると私が貴下に対して申し訳のない陋劣(ろうれつ)な所業でも致したやうに感ぜられますが、私はそれを意外に感じます。また遺憾に存じます。何となれば私には一向その理由が解らんからであります》

身に覚えのないことで、いきなり難癖をつけられたら、もっと怒りをあらわにしてしまいそうなものだが、漱石先生、冷静を保っている。まずは表面的でも恐縮の意を表し、それから驚きと遺憾の思いを伝えている。

そして最後、こうなった以上は、従来のように行き来を続けるわけにはいかないこと、父として夫として家族を守る意味からも関係を絶つことを通知する。

《私は只今まで娘どもを親切にお教授下すった貴下に対して感謝の意をもっておりました、その微意を表するため愚妻と娘とは近日中御礼のため参上致す事になっておりました、しかし、ああいう御手紙を頂いた上は、どうして好いか解らなくなりました、(略)侮辱を受けるために妻や娘を他人の家に遣(つか)わす事を、私は夫とし、また親として恥づるからであります》

漱石はこの日以降、2度とわが子をこのピアノ教師に会わせることはなかった。

そんな経緯も心象に影響したのか、漱石の次男・伸六が大人になって綴る中島六郎像はなかなかに辛辣だ。

《中島さんという酒焼けのした赤ら顔に白髪頭の爺さんがいて、よく家に来ては、ぽんぽこぽんぽこピアノを弾いていたのを覚えている。なんでも小宮豊隆さんの紹介だという話だったが、今から思うと、どうやらこの中島さんは、音楽教師というより、むしろ音楽評論家に類する人間であったようで、家では、子供らばかりを集めて、ピアノからオルガン、ヴァイオリンと、何でも教えていたらしいが、技術の拙劣たるや、まったく言語道断で、たかが子供のピアノ教則本ですら、むやみやたらとつかえてばかり》(『父・漱石とその周辺』)

だが、漱石が筆子にピアノを習わせたことは、何より筆子にとって愉しいことだった。

教師の技能がどうであれ、筆子自身は音楽好きとなり、ピアノの腕前にもかなりの自信をつけた。中島六郎とは縁が切れても、女学校を卒(お)えたら、音楽学校へ進みたいという希望も抱いていた。筆子の娘の松岡陽子マックレインが、母親(筆子)から聞いた話として、著書の中でそう証言している。しかし、半年後の漱石の病没で、筆子はその望みを断念した。松岡陽子マックレインはこう綴る。

《漱石を亡くした直後の祖母(鏡子)が、女の子は早くお嫁に行くのがいいという古い考えを持っていたので、母(筆子)は進学を諦めたという》(『漱石夫妻 愛のかたち』)

漱石がもう少し長生きしていたら、筆子の音楽学校進学という希望も、叶えられていたのかもしれない。

■今日の漱石「心の言葉」
同じ芸術だから、詩歌に趣味のあるものはやはり音楽の方でも上達が早いだろうと、ひそかに恃(たの)むところがあるんだが、どうだろう(『吾輩は猫である』より)

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

「日めくり漱石」の記事一覧へ

ランキング

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

サライ最新号
2020年
11月号

サライ最新号

大人の逸品Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア