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3 夏目漱石 2

今から104 年前の今日、つまり明治45年(1912)6月10日、漱石は東京・九段の靖国神社の能楽堂へ赴いた。北白川宮成久親王と同妃の主催による能会を見学するためだった。

漱石の松山時代の教え子で俳人の松根東洋城(まつね・とうようじょう)が宮内省勤務で、北白川宮の御用係を兼ねていたから、その関係で招待されたものだった。

明治天皇をはじめとする皇族方やそのおつき、山県有朋、松方正義の両元老、陸軍大将の乃木希典なども観客席に列していた。会が会だから、その他いわゆる明治の「上流階級」の者たちが多く招かれていた。

漱石は能会を見学しながら、明治天皇はじめ皇族方の謹慎にして敬愛に価する態度に比して、他の観客たちの無識無礼な行為に腹が立った。着席後、まるで見世物のように、皇族方の顔をじろじろ見たり、演能中みだりに席を立って高声で談笑するなど、まるきり礼を失している者が少なくなかったのだ。

漱石は娘たちを連れて音楽会などに出かけると、座席にすわっても落ち着かず周囲をきょろきょろ見回している娘たちを、よく「行儀が悪い」と叱っていた。そんなまだ年若い娘たちと、いまここにいる観客たちは、まるで同じではないか。

会がはねたあとの帰り際も、出口の前に自動車や人力車、馬車が我先にと入り乱れて秩序なくひしめき合っていた。漱石は思わず、心の中でつぶやく。

「こんな礼儀も分別も弁(わきま)えない連中が日本の上流社会の構成員なのか」

ロンドンで英国紳士・淑女の礼儀正しさに身をもって接してきた漱石の目には、明治維新後のにわか仕立てのような日本の「上流社会」のありようが、なんとも薄っぺらなものに映じていたのだろう。

もちろん、たとえば江戸の武家社会に視点を戻せば、そこにはきちんとした礼式も精神性もあったはず。維新後の近代化の中で、表面的でもなんでも大あわてで西洋を模倣しようとする余り、そうした伝統や蓄積をも置き忘れ、妙な綻びを見せていたのである。

漱石は、帰宅後の日記にこうも綴った。

《帝国の臣民、陛下殿下を口にすれば馬鹿丁寧な言葉さへ用ひれば済むと思へり。真の敬愛の意に至つては却(かえ)って解せざるに似たり》

言葉遣いひとつとっても、形式に流れ、根本の精神をなおざりにしていることに、ひとり嘆息する漱石先生であった。

■今日の漱石「心の言葉」
目前の目新しき景物に眩惑(げんわく)され、百年の習慣を去る。これ悪き意味においての未練なきなり(『断片』明治34年より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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