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若き夏目漱石、仲間とともに江ノ島に遠征して上陸の先陣を切る。【日めくり漱石/6月1日】

3 夏目漱石 2

今から131 年前の今日、すなわち明治18年(1885)6月1日、大学予備門(のちの一高)に在学中の18歳の漱石は、まだ仄(ほの)暗い片瀬海岸の砂浜で「十人会」の仲間たちとともに握り飯を頬張っていた。誰も彼も、顔が砂だらけであった。

「十人会」というのは、英語塾・成立学舎の出身者を中心に結成した大学予備門の学生仲間。漱石のほか、太田達人(おおた・たつと)、佐藤友熊(ともくま)、橋本左五郎、中川小十郎、真水英夫(まみず・ひでお)、小城斉(こじょう・ひとし)といった面々に、成立学舎とは無縁ながら中村是公(ぜこう)が加わっていた。

彼らが東京・神田の旅館「末富屋」に集結し徒歩遠足に繰り出したのは、前日の明け方前。出立からは、24時間余りが経過していた。

目的地は江ノ島だった。しかし、前夜は、その江ノ島の影をすぐ目の前にするところまで来ながら、海水が漫々とする暗闇の中で、どこからどう渡ったらいいか検討もつかず、海岸の窪地で持参の毛布にくるまり野宿をした。この頃、江ノ島は海岸と陸続きではではなかったのである。

周囲が明るくなると江ノ島の家並みがはっきりと見えてきて、向こう岸から5、6人のたくましい男が浅瀬を歩いてやってきた。見物客を背負って渡す人足だった。予めひとり10銭の会費を集めていたが、ここの渡し賃までは考えていない。各人が懐にしている余りの金を集めてみたものの、貧乏学生のこととて、大した金額にはならない。

「よし、それじゃあ、誰かひとりが背負ってもらって先頭を行き、残りの者はその後について海中を歩いていくことにしようじゃないか」

相談はそうまとまった。

と、そのとき、漱石先生、間髪を入れず、「俺がおぶさる」と申し出て、意気盛んにも先導役を射止めた。

江ノ島。現在は、湘南海岸から相模湾へと突き出る陸繋島となっているが、関東大震災で島全体が隆起する以前は、干潮の時のみ陸続きとなる地形だった。

江ノ島。現在は、湘南海岸から相模湾へと突き出る陸繋島となっているが、関東大震災で島全体が隆起する以前は、干潮の時のみ陸続きとなる地形だった。

いざ江ノ島へと渡ってみると、今度は道がよくわからない。中村是公は以前一度来たことがあったのだが、うろ覚えで案内するどころではない。そこいらを歩きまわっているうちに、いつのまにやら旅館の庭に迷い込んでしまった。折から、雨戸を繰っている仲居さんと出くわし、

「こんなに早く、あなた方は一体、どこでお泊まりになったのです? 前の宿屋さんかしら」

などと問いかけられた。まさか砂浜の上に寝たともいえず、いい加減に口を濁しながら道を尋ねて、一行はようやく目指す弁財天の祠にたどり着いたのだった。

その後、一行は鎌倉の鶴岡八幡宮に立ち寄った。境内奥の石段の前までくると、太田達人と小城斉が疲れ果て、足も痛くなり、動けなくなってしまった。漱石をはじめ他の元気のいい連中は、さっさと石段を昇り、上から叫んだ。

「おい、実朝とか頼朝とかの宝物が見せてもらえるんだ。早く上がってこい」

すると、下のふたりが答えた。

「もう、そんな宝物なぞどうでもいい。それを観るだけの金があるなら、そこの甘酒屋で甘酒でも飲んで休んでるから、上から銭を放ってくれ」

階段下のふたりにとっては、花より団子、宝物館より甘酒、というわけだった。

帰路は、歩行困難となったふたりを横浜から汽車に乗せ、他の者は駆け足で帰ることに決した。まだ髭のない漱石先生も、駆け足で東京を目指す。

元気いっぱいのバンカラ。明治の青春の一頁だった。

■今日の漱石「心の言葉」
この好天気を利用して、今度の日曜くらいに、どこかへ遠足でもしようじゃありませんか(『行人』より)

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web版「夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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