3 夏目漱石

今から117 年前の今日、すなわち明治32年(1899)5月31日、漱石と妻・鏡子との間に待望の第一子が誕生した。女の子だった。

《安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり》

という漱石の句からもわかるように、安産だった。

妊娠中の鏡子は悪阻(つわり)がひどく、一時は食べものや薬はおろか、水も喉を通らないような日が続いた。漱石はその傍らについて看病した。

《病妻の閨(ねや)に灯ともし暮るゝ秋》

とは、その頃に詠んだ句だった。

これ以前に鏡子は一度流産を体験していた。その流産のことも影響してか、激しいヒステリー症状から未明に床を抜け出して川に飛び込み自殺未遂を起こしたこともあった。それからしばらくの間、漱石は自分の手首と鏡子の手首とを紐で結びつけて寝た。そんなあれこれの苦難があった末だけに、無事に新しい命の誕生を迎えられた感慨はひとしおであった。

名前は筆子とした。戸籍名は筆だが、当時の通例として周囲も本人も大抵「子」をつけて呼んでいた。

女性の名前に「子」をつけるのは、もともとは貴族階級の習わしであった。時代的には平安時代あたりからの始まりとされる。これが一般に波及するのは明治半ば頃からで、新時代の空気にも合致するということで好んで用いられた。当初は本名と関わりなく、呼称や通称として「子」を付す例が多かった。

大正も10年を過ぎる頃には、本名そのものに「子」をつけて届け出ることが一般的となり、昭和30年代あたりまでは、圧倒的多数の女子の名が「子」という止め字で終わる事態が続いたのである。

漱石愛用のペン。ペン先にインクをつけて何文字か書いては、またインクをつけるタイプの、いわゆる「付ペン」である。仕事でもプライベートでも文字を書くことの多かった漱石は、自ずと子供にも「字がうまくなってもらいたい」という願望を持ったのかもしれない。神奈川近代文学館所蔵

漱石愛用のペン。ペン先にインクをつけて何文字か書いては、またインクをつけるタイプの、いわゆる「付ペン」である。仕事でもプライベートでも文字を書くことの多かった漱石は、自ずと子供にも「字がうまくなってもらいたい」という願望を持ったのかもしれない。神奈川近代文学館所蔵

筆子(筆)という命名には、はっきりとした由来があった。娘の母親である鏡子が悪筆(字がヘタ)だったため、娘は字が上手になるようにという願いを込めて、夫婦相談の上この名を選んだのだ。ところが、筆子は長じて母親以上の悪筆となってしまった。そのため当人は「そんなに欲張った名はつけるものではない。そんな名前をつけるからこんなに字が下手になったのだ」と苦情のような愚痴のような文句を親にぶつけていた。

漱石は赤ん坊の筆子を非常に可愛がり、よく「高い、高い」をしたり、あやしたりしていた。赤ん坊は抱く人に似るからと言って、気立てはよいが色黒のテルという名のお手伝いさんに、

「色が黒くなると困るから、あまり抱いてはいかん」

などと口うるさく言っていた。「色が白いは七難かくす」の諺もあるように、色白の方が美人に見えるというのは、古くから日本人の中に根づく感覚。漱石もそれを気にかけていたわけだ。昨今の美容業界のCMなどでも「美白」という文字はよく見かける。

それにしても、普段は占い好きの鏡子夫人を笑っているくせに、愛娘のこととなると非科学的な迷信をも受け入れてしまう父親・漱石の姿が、少しばかり滑稽である。

それでも、鏡子の留守中、泣き出した筆子のご機嫌は漱石では直せない。すかしたり、あやしたりしても、ますます火のついたように泣く。赤ん坊の父は仕方なくテルを呼ぶ。テルに抱かれると、すぐに赤ん坊は泣き止む。テルは得意気に旦那様に言う。

「いくら顔が黒くっても、私でなけりゃどうにもならんじゃありませんか」

これには漱石先生、ぐうの音も出ないのであった。

■今日の漱石「心の言葉」
女性の影響というものは実に莫大なものだ(『吾輩は猫である』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web 夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のウェブサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。 

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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