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夏目漱石、うっかりミスで詫び状を書く羽目になる。【日めくり漱石/5月29日】

3 夏目漱石

漱石が大切にしていた価値観のひとつに、「拙を守る」ということがある。世渡り上手でなくていい。目先の利に走って小賢しく動き回るより、愚直といわれても、節を曲げずに生きるのをよしとする。そういう意味合いであろう。

陶淵明の詩『園田の居に帰る』の一節「拙を守りて園田に帰る」や、『老子』の「大巧は拙なるが如し」あたりが出所と言われるが、小説『草枕』の中では、漱石はこの「拙」に「木瓜(ぼけ)の花」を重ねながら、こんな一文も綴っている。

《評してみると木瓜(ぼけ)は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がある。この人が生れ変るときっと木瓜になる。余(よ)も木瓜になりたい》

だが、そんな漱石でも、聖人君子ならぬ人間であるから、ふとした拍子に迷い道に踏み入りそうになることもある--。

今から109 年前の今日、すなわち明治40年(1907)5月29日、40歳の漱石は珍しく年少の友から叱責を受け、謝りの手紙を書いていた。

その友とは漱石より5つ年下の渋川玄耳(しぶかわ・げんじ)。陸軍法務官の出身で、東京朝日新聞社に引き抜かれ、社会面の刷新に取り組んでいる人物だった(のちに校正係として朝日新聞に入社した石川啄木を抜擢し、「朝日歌壇」を創設することになる)。10年ほど前、両者が熊本にいた頃から、俳句を通しての交流があったのである。

石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』(新潮文庫)。昭和51年発行のこの本の冒頭にも、渋川玄耳のペンネームである「藪野椋十」による序文が掲載されている。啄木を「朝日歌壇」の選者に抜擢したのも渋川玄耳だった。

石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』(新潮文庫)。昭和51年発行のこの本の冒頭にも、渋川玄耳のペンネームである「藪野椋十」による序文が掲載されている。啄木を「朝日歌壇」の選者に抜擢したのも渋川玄耳だった。

校正係として朝日新聞に入社した石川啄木を「朝日歌壇」の選者に抜擢したのも渋川玄耳だった。啄木の第一歌集『一握の砂』の刊行に当たっては、藪野椋十(やぶの・むくじゅう)のペンネームで序文を寄せている。

さて、その渋川玄耳に、どうして詫び状を書くことになったのか。

少し前の5月3日、朝日新聞に漱石の『入社の辞』が発表され、漱石は正式に東京朝日新聞の社員(小説記者/専属作家)となった。これを受けて、新聞社の方で漱石の歓迎会を開きたいので出席してほしいとの連絡が、玄耳から伝えられた。

ありがたいことなので漱石は出席する旨、即答した。ところが、あとで日程を確認してみると、漱石が門弟その他に自宅で面会する木曜日(木曜会)と重なってしまっていた。漱石はその事情を告げて、このままだと出席が難しいので日程を変更してもらえないかと、玄耳に申し出ていたのである。

玄耳は、皆のスケジュールを調整しているし直前になっての変更は無理だ、また主役がいなくては歓迎会はなりたたないのだから無理を押してでも出席してもらわないと困る、と叱るような調子で言ってきた。これに漱石は、恐れ入ったわけだ。

漱石にしてみれば、毎週木曜と決めている面会日を取りやめてしまうと、その他の曜日に訪問してきた人を謝絶するのが難しくなることを恐れた(「面会日は木曜日と決めているから、木曜日に出直してください」と明言しにくくなる)。そうなると、新聞連載の開始に向けて書きはじめている『虞美人草』の原稿が滞ってしまうのではないかとの危惧もあった。

とはいえ、会社の歓迎会への出席を約束したのは他ならぬ自分であり、「木曜会」のことは私的なこと。漱石は玄耳あての手紙で、まず《拝啓 歓迎会につき御叱りは恐れ入りました》と謝し、続けて「面会日と知らず受けやったのが悪いのだから、出席つかまつることに致します」と綴っていくのだった。

もうひとつ、漱石は数日前、玄耳に問い合わせていたことがあった。それは、税金の申告に関することだった。

漱石は長年にわたって、熊本五高や東京帝大などの官立学校の教職にあった。それを辞して新聞社入りするとまもなく、税務署から「今後は所得の申告をするように」との連絡があった。現在の日本なら、社員の税務申告は会社が代行するのが通例なのだが、この当時はまだそうした形が整っていなかった。漱石も初めてのことで不案内なので、旧知の間柄で同じ官から民への転職組である渋川玄耳に「他の社員はどんなふうに申告しているのか」と問い合わせをしたわけだ。

今までは官職にあったため考える余地もなかったが、この際、できる範囲の節税策があるなら、それも講じたいものだという思いも漱石にはあった。親戚への生活費の援助や、甘え上手の門弟たちの面倒を見たりするのに加え、知人からの借金の申し入れなどもあり、何かと出費がかさむ夏目家の台所事情なのである(付言しておくと、漱石が「借金」という名目で貸した金は、ほとんど返ってきた試しがなかった)。

ところが、玄耳は出身が出身(陸軍法務官)だけに、堅物で頑固過ぎるほどの性癖。前段に歓迎会の一件もあるものだから、漱石の問い合わせに応じつつ、余計に厳しい口調になって、「漱石ともあろう人が些々(ささ)たる所得税のことなど気にかけていてどうするのか」と、言ってきていた。なんだか老師にでも一喝されたような気分になって、漱石はこの税金の件についても、節税や必要経費のことなど一切顧慮せぬことを決め、恐縮の意を綴って手紙を書き終えていく。

安定した身分を捨て、一大決心をしての転職。初めての新聞連載小説に挑んでいこうとする高揚心。そんな中で漱石は、知らず知らずのうちに、いつになく浮足立っていた自分に思い至っていた。

漱石の頭に、自分を戒める如く浮かぶのは、熊本時代に自作した句。

《木瓜咲くや漱石拙を守るべく》

愚直でいい。愚直がいい。改めてそう思い直す漱石先生である。

■今日の漱石「心の言葉」
諫(いさ)めに従うこと流るるが如しとは、僕のことをいったものだよ(『虞美人草』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web 夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のウェブサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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