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2 夏目漱石

今から104 年前の今日、すなわち明治45年(1912)5月28日、45歳の漱石は無性に「自画自賛」を作成したくなり絵筆を手にした。

「自画自賛」というと、たとえば広辞苑には「(1)自分の描いた画に自分で讃をすること。自画讃。(2)転じて、自分で自分のことをほめること。手前味噌」とあって、最近は(2)の意味で使われることが多いが、ここでは元来の(1)の方の「自画自賛」である。

描く題材は謡曲「鉢木(はちのき)」。旅僧となって諸国行脚する鎌倉の前執権・北条時頼が、上州(群馬県)の佐野で大雪に遭い、老武士・佐野源左衛門尉常世の家に宿を借りた。そのとき常世は貧窮暮らしの中、粟飯でもてなし、暖をとらせるため愛蔵の梅・桜・松の鉢木(盆栽)を焚いた。そんな伝説を下敷きにしたものである。

漱石は、笠をかぶり杖を持って歩く旅僧の後ろ姿を絵に描き、傍らに、

《雪の夜や佐野にて食ひし粟の飯》

の一句を書き添えた。本人としては上々の出来栄えだった。このあたり、広辞苑の(2)の意味の方が、ちょっぴり顔を覗かせている気配もある。

漱石は妻の鏡子を書斎に呼ぶと、

「どうだ、なかなかのもんだろう」

得意になって、まだ生乾きの水彩画を見せ賛同を求めた。すると、鏡子は、

「まあ、大作ですね」と感心したのも束の間、

「これは何をお描きになったの。刀を差したお侍ですか?」

と真顔で訊いてくる。これには漱石も、思わず拍子抜けしてしまうのだった。

『吾輩は猫である』の読者として、英語教師の珍野苦沙弥とその奥さんのやりとりに馴染んでいる身には、このあと夫婦の間に交わされたであろう会話は、容易に頭に浮かぶ。

主人「ばかやろう。それは、杖を持った旅の僧だ。だからおまえは、オタンチン、パレオロガスだというんだ」

細君「なんです、そのオタンチン、パレオロガスっていうのは?」

主人「なんでもいい。意味なんかあるもんか」

細君「きっと人が英語を知らないと思って、悪口をおっしゃってるんでしょ」

主人「いいから、もう、あっちへ行ってろ」

細君「なんですか、呼びつけてみたり、追い立てたり。忙しい人ですね」(立ち去る)

しかし、これは飽くまで小説世界からの想像。実際の漱石先生は、滅多なことでは、頭ごなしに女房を叱りつけるような真似はしなかった。

小さい子供たちが書斎の内外で大声を出しながら遊んでいることがあっても、何ひとつ怒ったりしない。長男・純一が友人たちと隠れん坊をして、そのうちのひとりが執筆中の漱石の股の中にもぐり込んできても、漱石は黙って仕事を続けていたほどだった。ましてこの時は、自分の完成させた画にそれなりの手応えと満足感を覚えて上機嫌。旅の僧とお侍を取り違えた妻に向かって、画題である謡曲『鉢木』の内容から、諄々と説き聞かせたに違いない。

だからこそ、漱石没後、大きくなった子供たちが、とんちんかんなことを言う母親(鏡子)を笑うような素振りを見せると、鏡子は「なんですか、おまえたちは、そうやってバカにして。お父様はもっと優しく教えてくださったよ」と怒ったのである。

大正4~5年頃の漱石自筆の書画。画題は、漱石邸の庭にあったシダとその若芽と思われる。書き添えてあるのは、漱石が熊本にいた明治30年頃に作って東京・根岸の正岡子規に送った句「水仙や根岸に住んで薄氷」。亡き親友を思って書き付けたのだろう。神奈川近代文学館所蔵

大正4~5年頃の漱石自筆の書画。画題は、漱石邸の庭にあったシダとその若芽と思われる。書き添えてあるのは、漱石が熊本にいた明治30年頃に作って東京・根岸の正岡子規に送った句「水仙や根岸に住んで薄氷」。亡き親友を思って書き付けたのだろう。神奈川近代文学館所蔵

さて、鏡子との会話を終えた漱石は、改めて少し冷静に自分の画を見直してみる。それでも素人の描いた作品としては、まあ、それほど悪い出来栄えとも思えない。というのも、これが漱石先生の文人画家としてのデビュー作。自製の絵葉書などは何枚も描いていたが、本格的な作品にチャレンジするのは初めてのことだった。

漱石はこの画を、友人の戸川秋骨に進呈することにした。門弟のひとりに上げたりすると、他から苦情が出る恐れもある。いきなり「お宝」に祭り上げられても困惑するし、逆に、皆が集まる木曜会の席などで揶揄の材料に使われても叶わない。漱石先生の大きな懐に包まれて、門弟たちはなかなか意気盛ん、闊達なのである。

となれば、送り先としては適度な距離感のある友人、戸川秋骨あたりが無難と思えた。同封する手紙には、漱石はこうしたためた。

《今日午前に至り、ふと自画自賛試みたく相成(あいなり)、生れて始めて画をかき候。しかるところ我ながら見上げた出来栄に有之(これあり)、大いに喜びこの手紙と同便にて差出候間(さしだしそろあいだ)御受取り願候。絵は最明寺殿が後向になってあるいている所と御承知被下度(くだされたく)候。斜に出ているものは杖にて決して刀には無之(これなく)。山妻は侍が帯剣の姿と間違候間(まちがえそろあいだ)、念のため説明を加へ置候。最後に申上候。これはほんの記念として差上るもの故、決して表装の上床の間へ御掛け下さるに及ばず。装飾品としては、そのうち上達の見込あれば、うまくなった時改めて立派なものを御覧に入れる覚悟に候》

文中の「最明寺殿」はもちろん、北条時頼のこと。

鏡子夫人の率直過ぎる感想を、漱石が拍子抜けしながらもそのまま手紙に記しているユーモアが、ほのぼのした夏目家の日常の空気を伝えていて心地よい。

■今日の漱石「心の言葉」
それ自身が目的である行為ほど正直なものはない(『三四郎』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web 夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のウェブサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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