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3 夏目漱石 2

明治44年(1911)の5月27日、つまり今から105 年前の今日は、夏目家で家政婦として働いていたお梅さんの結婚式だった。

漱石と妻の鏡子は、お梅さんの親代わり兼、結婚式の仲人という役回りを引き受けていた。そのため、ここまで、嫁入り道具として箪笥、針箱、鏡台を買い整えたり、結納のことをしたりと、いろいろ準備を進めてきていた。

お梅さんのたったひとりの肉親である兄の西村誠三郎は、生活に窮してしばらく夏目家に寄宿して校正の仕事などを手伝っていた時期もあったが、当時は満州(現・中国東北部)に渡って再出発していた。漱石夫妻は、結婚式に駆けつけることはできないこの兄の分も、お梅さんを祝ってやろうと思っているのだった。

お梅さんの嫁ぐ相手は、児童文学者・巌谷小波(いわや・さざなみ)門下の美添紫気(よしぞえ・しき)。その家は、漱石邸からも程遠からぬ牛込区西五軒町(現・新宿区五軒町)にあった。

漱石夫妻は、人力車にのって夕刻その家を訪ねた。細い路地に入って2軒目の小さな門に「美添」の標札がかかっていた。漱石夫妻の傍らには、もうすぐ満12歳の誕生日を迎える長女の筆子も付き従っていた。筆子はこの日、三三九度のお酌をするという大役を担っていたのである。

お梅さんは、前夜のうちに漱石邸を出ていた。当日、夏目家から嫁入りするのは方角がよくないという話があったためだった。おそらくは、いつも鏡子が頼りにしている占い師の「天狗」のアドバイスだったのだろう。お梅さんは浅草に一泊して、そちらから美添の家にくる手筈になっていた。

前夜8時過ぎに夏目の家を出るに際し、お梅さんは漱石の前に三つ指ついて、

「長々ご厄介になりまして、このたびはまた、一方ならぬご心配をお掛けしまして」

と、暇乞(いとまご)いの挨拶をした。漱石の胸に、一瞬こみあげるものがあった。このあと結局「花嫁の父」となることなく生涯を終えた漱石の内に、それらしき思いがかすめた刹那だった。

お梅さんの嫁ぎ先の路地奥の小さな家には、婿の他に、母親と弟妹の4人が同居していた。母親は50代半ば、言葉遣いが非常に上品な婦人だった。手狭なので、式は裏手の家でとり行なうことになっていた。婿の父親が存命中住んでいた古家で、先頃、人に譲り渡したものという話だった。

いよいよ式が始まった。

打ち合わせ通り、漱石が控えの間から花婿を先導して、縁側から座敷に上がる。座敷には、花嫁姿のお梅さんと鏡子が並んで座っている。それと向かい合って、お婿さんと漱石が座を占める。

ここで、襖の向こうから銚子を持って筆子があらわれる手筈だったが、いつまでたっても襖の向こうはシンと静まり返っている。仕方なく鏡子が及び腰になって襖の角をとんとんと叩いて知らせると、ようやく襖が開いた。筆子はにこにこと笑ってそこに座っていた。

花嫁と花婿の間を行ったり来たりして、筆子は三三九度のお酌をしていく。座ってはお辞儀してお酌して、立ち上がり移動する。その度に、部屋の中央に下がった釣りランプに筆子の頭の上のリボンが当たってしまい、筆子は思わず照れ笑いをうかべるのだった。

三三九度が済むと次は元の家の方に戻って親類の固めの盃、その後、勧められるままに食事の席についた漱石夫妻と筆子だった。

ちなみに、五軒町のこの家は、「少年図書館」も兼ねていたらしい。室内には巌谷小波の手になる『世界お伽噺』をはじめとする子供向けの書籍や雑誌が並べられ、近所の子らを楽しませていた。少年期の作家・大佛次郎(おさらぎ・じろう)も、この図書館を利用して本に親しんだという。お梅さんの結婚式当日の漱石の日記には、《お婿さんにあって少し話をした。おもに図書館の話をした》とあるから、漱石も美添紫気の相談にのって、なんらかのアドバイスを与えたことが窺い知れる。

なにせ、この時代、文筆一本で生計を立てていくのは容易なことではない。たとえば、島崎藤村は詩人から小説家への転向を志した『破戒』を書き上げるために、信州の豪農・神津家の支援を得てもなお、栄養不良による抵抗力の低下から3人の娘を次々と病死させる悲哀をくぐらねばならなかった。樋口一葉も石川啄木も、薬代にも窮しながら早世した。評論家の斎藤緑雨がもらした「筆は一本、箸は二本。衆寡敵せず」という言葉は、単なる洒落などではなかった。漱石が東京朝日新聞に文芸欄をもうけた理由のひとつも、文筆を志す若い人たちに舞台を提供し、応援するためだった。

美添紫気は、こののち、大正12年(1923)の名古屋市立名古屋図書館の創設に当たり、同館の司書として働くことになった。お梅さんはその傍らに連れ添い、名古屋の人となって睦まじく暮らしたことだろう。

■今日の漱石「心の言葉」
結婚の話で顔を赤くするうちが女の花だよ(『行人』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

Web 夏目漱石デジタル文学館
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のウェブサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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