夏目漱石の本名は、夏目金之助(なつめ・きんのすけ)という。父は夏目小兵衛直克。母は千枝。五男三女の末子だが、すぐ上の四男と三女は幼時に逝去して、金之助が生まれた時にはすでに亡かった。
「金之助」という命名には、古くからの言い伝えが関係していた。漱石が生まれた旧暦の慶応3年1月5日(西暦だと1867年2月9日)は、干支に当てはめると庚申(かのえさる)の日。庚申の日に生まれた子どもは、出世するときは大いに出世するが、ひとつ間違うと大泥棒になる恐れがある。その難を免れるには、名前に「金」の字を入れればいい。そんな言い伝えがあったのである。
その金之助が自ら「漱石」の2字を初めて署名したのが、今からちょうど127 年前の今日、すなわち明治22年(1889)5月25日のことだった。
それは一高に在籍していた正岡子規が友人たちに回覧した自作の和漢詩文集『七草集』に対し、批評文を書きつけたときのこと。もちろん金之助が「漱石」の号を用いたのも、これが初めてのこと。ある意味、「夏目漱石の誕生の日」と言ってもいいのかもしれない。漱石、22歳の時である。
じつは正岡子規(本名・常規/つねのり)も少年時代の一時期、この「漱石」という号を使ったことがあったとも伝えられる。金之助の漱石は、それを知らずにいた。子規は他にも「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」や「竹の里人」といった文人趣味の筆名を使ったし、自身の通称・升(のぼる)と大好きなベースボールとを掛け合わせた「野球(の・ボール)」という号も持っていた。

漱石は、蔵書印や書画の落款、検印などのために、多くの印を作製し所持していた。そのうちのひとつ「漱石枕流」。実際にこの印を使用する機会はなかったらしい。神奈川近代文学館所蔵
この「漱石」という号は、もともとは中国唐代の史書『晋書』の「孫楚伝」に基づく故事成語「漱石枕流」(そうせきちんりゅう)からとられた。
中国の晋の孫楚という男が隠棲生活に入ろうとして、「石を枕にし流れに漱(くちすす)ぐ」ような暮らしと言うべきところを、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えた。それでも飽くまで意味をこじつけて押し通そうとした。「石に漱ぐのは歯を磨くためであり、流れに枕するのは不潔な言葉で汚れた耳を洗うためだ」というわけである。転じて、屁理屈をつけて言い逃れすること、へそ曲がりで負け惜しみの強い者を指す熟語にもなった。
わが国の初等教科書として明治期まで広く普及していた『蒙求』(もうぎゅう)の中に、「孫楚漱石」の題でこの話が収載されていて、金之助少年もこれで「漱石枕流」を知った。のちにここから号をとったのは、金之助自身、この故事が、ちょっとヒネ者にして負けず嫌いな自分の性格に通じるものを感じての選択だったのだろう。
漱石はこの19年後、雑誌『中学世界』で自身の号について問われ、こう答えている。
《小生の号は、少時『蒙求』を読んだ時に故事を覚えて早速つけたもので、今から考えると、陳腐で、俗気のあるものです、しかし、いまさら改名するのも臆劫だから、そのまま用いております。慣れて見ると、好きも嫌いもありません。夏目という苗字と同じ様に見えます》
このころ大人(たいじん)の域に入りつつあった漱石には、もう少し淡彩の味わいのある号の方が好もしいという感覚が芽生えていたのかもしれない。
■今日の漱石「心の言葉」
こういう人物にはこういう名でなければならぬというような、いわゆる据(す)わりのいい名というものは、なかなか無いものだ(『小説中の人名』より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
【県立神奈川近代文学館】
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。
■所在地/横浜市中区山手町110
■電話/ 045-622-6666
■休館日/月曜
※神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。
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