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夏目漱石、大学野球に出かけて母校を応援するが残念なことに。【日めくり漱石/5月16日】

3 夏目漱石 2

今から101 年前の今日、すなわち大正4年(1915)5月16日、48歳の漱石は、教え子で一高教授の森巻吉(もり・けんきち)に誘われ、東京・早稲田南町の自宅からほど近い戸塚グラウンドへ、野球観戦に出かけた。

この日そこで行われていたのは、第一高等学校(一高)と早稲田大学の対戦だった。かつてそこで漱石が教鞭をとったこともある東京専門学校は、10余年前、早稲田大学へと名称が変更されていた。

戸塚グラウンドには、すでにいっぱいの観客が、まるで雲のように層をなして詰めかけていた。余りに人が多いので、どこが入口かも判然(はんぜん)としないほどだった。学生野球人気は、この頃から始まっていたのだ。

早稲田の応援が1塁側で、一高の応援が3塁側。漱石と巻吉は3塁側へ向かった。漱石は早稲田の教壇に立ったこともあるが、母校は一高である。教師としても、一高への在籍期間の方が長い。森巻吉とともに3塁側の観客席へ向かうのに、少しの躊躇もなかった。

そこには、1,000人ほども観客が犇(ひしめ)き合っていた。森巻吉は人と人の間を裂き割って、中へ中へと進んでいく。漱石は雑踏に巻き込まれ、いつしか前へ進むことも後ろへ引くこともできないような状態に陥っていた。

観衆は白い旗を持って動かしながら応援していた。漱石の後ろの客がちょっと大きめの旗を持っていて、それを夢中になって大きく振ると、旗の端が漱石の頭や頬に当たる。1塁側の方に目をやると、向こうは赤い旗がちらちらと綺麗に揺らめいていた。

リサイズ漱石5月16日(野球発祥の地碑)DSCF0007

東京・千代田区一ツ橋の学士会館前に立つ日本野球発祥の地碑。明治5年、この地にあった開成学校(東京大学の前身)でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが学生たちに野球を教えた。ここから日本の野球が始まったとされる。翌明治6年には、新校舎とともに立派な運動場ができ試合ができるようになったという。

――試合は10対5で早稲田が勝った。

試合が終わると同時に、3塁側の応援席は台風の通りすぎた後のようにしんと静まり返ってしまった。皆が押し黙ったまま、元気なく俯(うつむ)き加減で帰路につく。

巻吉が「選手が泣いている」と呟き、漱石も思わず振り返ってみた。が、漱石の視界は人波に遮られ、選手の姿を見ることはできなかった。漱石先生、身長159 センチ。同世代の日本人の中では平均的な高さだが、ふた回り下の世代の学生たちは幾分か平均身長も高くなっていて、漱石の視線を妨げる壁になったのかもしれない。

大隈講堂前の広場まで行くと、一高の生徒たちが大勢、地面の上にがっくりと胡座(あぐら)をかいて休んでいた。誰も言葉を発する者はない。応援むなしく母校のチームが敗れ去ったことで、悄然(しょうぜん)としてしまっているのだった。

漱石の胸の奥に、今は亡き親友・正岡子規(まさおか・しき)の面影が甦る。

子規がまだ「野球」の呼び名の根づく前のベースボールの魅力に取りつかれたのも、一高在学中だった。ポジションはキャッチャー。打撃でも、鋭い打球を飛ばした。

一方の漱石も、学生時代はなかなかの実践的スポーツマンだった。もっとも得意なのは器械体操。他にも、水泳、ボート、乗馬、テニス、登山、柔道など、ひと通りは楽しんだ。

しかしながら、漱石は子規とともにベースボールに興じることはなかった。じつは、漱石には、子規と親しく交流する数年前、人数合わせで動員されたベースボールの試合で、飛んできたボールを受け損ね「急所」に当ててしまうという、男子ならではの痛くて苦い思い出があったのだ。

それからの漱石先生、けっしてグラウンドでボールを追いかけることはしなかったのである。

■今日の漱石「心の言葉」
「勝負に心を奪われては面白くない。成敗(せいはい)を度外に置け」(『吾輩は猫である』より)

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916) 写真/県立神奈川近代文学館所蔵

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して、その作品世界と生涯を展覧する特別展『100年目に出会う 夏目漱石』を開催しています。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110 TEL/ 045-622-6666 休館日/月曜 神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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