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夏目漱石、二葉亭四迷の死を知る。【日めくり漱石/5月15日】

 

リサイズ漱石の銅像DSCF0200

「新宿区立漱石公園」(の入り口に立つ夏目漱石の胸像(制作/富永直樹)。かつてここに、漱石が終焉までの10年間を過ごした「漱石山房」があった。

小説家でロシア文学者でもある二葉亭四迷の本名は、長谷川辰之助といった。彼は、朝日新聞に所属するジャーナリストでもあった。その妻・長谷川柳子からの手紙で漱石が四迷の死を知ったのは、明治42年(1909)5月15日、つまり今から107 年前の今日のことであった。

四迷は、1年ほど前から特派員としてロシアに赴任していた。ところが、肺炎と肺結核を併発して極寒の地にとどまることができず、日本へ帰国すべく船上の人となった。そして、この5日前の5月10日、ベンガル湾上の日本船・賀茂丸の中で息をひきとったというのである。漱石より3つ年上の満45歳だった。

漱石と四迷は、かつて近所(本郷西片町10番地)に住んでいたこたことから同じ銭湯に通っていて、裸のつきあいがあった。新聞社の同僚として、一緒に鰻を食べたりもした。とても他人事と思えず、漱石は日記に、《二葉亭印度洋上にて死去。気の毒なり。遺族はどうするだろうと思う》とつづった。

漱石は初対面から、背が高く頑丈な骨格を持った二葉亭四迷に、「品位のある紳士」を感じとっていた。その品位は、単に出自からくる貴族的なものではなく、半分は性情、半分は修養からきているものと判断できた。しかも、自制とか克己という言葉に通ずる「強いて己を矯(た)めた痕跡」は感じさせない。学問を積み重ねる傍ら俗世間でも苦労をし、「野暮を洗い落として、再び野暮に安住している」とでも表現したい印象があった。

二葉亭四迷の処女作『浮雲』(角川文庫)。当初は坪内雄蔵(坪内逍遥/別名・春の屋主人)の名前を借りて刊行された。旧来の文語調を脱し言文一致体を目指した、文学史に残る作品である。

二葉亭四迷の処女作『浮雲』(角川文庫)。当初は坪内雄蔵(坪内逍遥/別名・春の屋主人)の名前を借りて刊行された。旧来の文語調を脱し言文一致体を目指した、文学史に残る作品である。

生前の四迷は小説家として、朝日新聞紙上に『平凡』『其面影』などを書いた。その筆力は確かで、漱石も『其面影』を読んで感服し、賞賛の手紙を書き送ったほどだった。しかし、志士的気概を文学にまるごとぶつけた漱石の場合と異なり、四迷本人は文士たることにはどうも真剣になり切れなかった。そのペンネームも、生活の必要に迫られて友人・坪内逍遥の名を借りて小説『浮雲』を刊行するような自分自身を、「くたばって仕舞え!」と罵ったことから生まれている。

幼い頃から陸軍大将になるのが夢で、近眼のため陸軍士官学校の受験に失敗したあとは、対ロシア外交への関心から東京外国語学校で学んだ。せめて男子一生の仕事として、国際舞台で外交的なことに携わりたいという思いがあった。だから、新聞社に籍を置いても、漱石のような小説記者(専属作家)であるよりはジャーナリストたらんことを志向した。

特派員としてロシア帝国の首都サンクトペテルブルグへ赴くことが決まった時、10年来の交友を続けてきた坪内逍遥から「これで多年の君の宿志も、とにかく糸口だけは開けるのではないか」と声をかけられ、感激に目を潤ませた四迷なのだ。

そうした資質や志向の違いはあったにせよ、漱石と四迷は互いに一目も二目も置いていた。そんな同僚の悲報…。

このあと、漱石山房(漱石の自宅)に現れて自著の刊行話が思うように進展しないことに苦情を訴える森田草平を、ついきつく叱ってしまったのも、漱石の頭の中を四迷の死が領していたからだったろう。

四迷の遺骨はこれより15日後、5月30日に自宅へ戻った。遺体はシンガポールで焼かれ、骨となっての帰国だった。漱石は故人の家へ出向いて霊前に香典を備え、夫人と母堂に悔やみを述べた。

一周忌に当たる明治43年(1910)5月10日には、上野精養軒で四迷の追悼会が催された。このころちょうど、石川啄木が校正を担当した『二葉亭四迷全集』の刊行も始まろうとしていて、漱石は席上こんな挨拶をした。

《近時の我国人が何事にも余裕なき状(ありさま)なるを悲しむ折柄、この頃、石の静にして頑然たる姿を愛するに至れり、古の人が墳墓に石を用いしことを深く感ず、二葉亭氏の全集はこの石の如く故人の死後に重みを附け、故人も能(よ)く落ち着き得ることと思う》

人間の興味は、総じて年を重ねるとともに、犬猫などの動物から、盆栽などの植物、そして次第に石などの静物に向かうという説がある。40代半ばの漱石先生も、「石の姿を愛するようになった」と述べるあたり、どうやら枯淡の域に入りはじめている。

■今日の漱石「心の言葉」
人間の目的は、生まれた本人が、本人自身に作ったものでなければならない(『それから』より)

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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