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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。

■今日の漱石「心の言葉」

われら新時代の青年は、偉大な心の自由を説かねばならぬ(『三四郎』より)

リサイズ5月12日漱石GRKS2720

東京・日本橋浜町にある明治座。明治6年に喜昇座(きしょうざ)として創建、いくつかの改称を経て、明治26年より明治座となる。関東大震災や東京大空襲などの焼失を乗り越え、現在は近代的なビルに生まれ変わっている。

【1909年5月12日の漱石】

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)5月12日の漱石は、前日に引き続き、書斎の大掃除をしていた。夏目家の女中のお梅さんの兄である西村誠三郎が応援に呼ばれ、窓ガラスを拭くのを手伝った。

ちょうど仕事の方が、ひと段落したところだった。年明けからから原稿執筆に着手し、朝日新聞紙上で連載の始まった、自身の日常や英国留学での出来事に題材をとった『永日小品(えいじつしょうひん)』は3月で終わっていた。門弟の森田草平の連載小説はなんとか続いてきているし、次の連載小説の始まりまでまだ少し間があった。

振り返れば、去年の暮れには、1月1日付の新聞に載せる『正月』という原稿を書いていたし、年明け早々1月3日には大阪の朝日新聞社からの電報で次の原稿の催促をされたりで、なんだか区切りなしに「年」をやり過ごしてきたような感覚が漱石の中に残っていた。気分転換を図る意味合いからも、大掃除をしたかったのである。

ちなみに、先回りしていうと、書斎とともに頭の中も一度リフレッシュした漱石は、このあと少しずつ次回作の構想を練りはじめ、5月末には筆を執ることになる。それが、前年の『三四郎』のあとを受ける小説『それから』だった。

大掃除を終えた漱石は、昼からは、俳人で文芸俳句雑誌『ホトトギス』を運営する高浜虚子(たかはま・きょし)を訪ねた。前の日、虚子から「一緒に明治座へ歌舞伎を見にいきましょう」と誘いを受けていたのだった。漱石と虚子は、雨の中を連れ立って日本橋の明治座へとおもむいた。舞台演目は驚くほど多数に及び、午後1時から始まって、なんと夜の11時までかかった。家に帰り着いたのは、午前1時頃だった。演目数の多さ、上演時間の長さに、まず漱石は呆れ、「欲張り過ぎではないか」と思った。

演目の中で内容的に興味をもったのは、『近頃河原達引(ちかごろかわらのたてひき)』(通称『御俊伝兵衛』)と、仕舞の踊りの『勢獅子(きおいじし)』。あとは、筋立てが子供じみて、どうも感心しなかった。

そのことを漱石は日記にこう書き記した。

《あんなものを演じていては日本の名誉に関係すると思うほど、遠き過去の幼稚な心持がする。(略)徳川の天下はあれだから泰平に、幼稚に、馬鹿に、いたづらに、なぐさみ半分に、御一新までつづいたのである》

漱石先生、なかなかに手厳しい。

さらに3日後、漱石は『国民新聞』に『明治座の所感を虚子君に問れて』と題する一文を発表している。虚子はこの頃、『国民新聞』の文芸部の部長もつとめていたから、虚子の依頼に漱石が応えたというわけである。漱石は朝日新聞の社員(専属作家)ではあったが、入社前の取り決めで、「文学的ならぬもの、あるいは2~3ページの端ものなどは、よその適当なところへ掲載する自由」を認められていた。

この『明治座の所感を虚子君に問れて』の中では、漱石は、役者にまで同情を寄せた。
《到底今日の開明に伴った筋を演じていないのだから、はなはだ気の毒》
《こんなものを演ぜねばならぬ役者は、さぞかし迷惑な事だろうと思う》

この頃、他の文物とともに西洋から新劇が流入していた。小説家で劇作家の坪内逍遥(つぼうち・しょうよう)や島村抱月(しまむら・ほうげつ/劇作家、演出家、詩人、小説家)、小山内薫(おさない・かおる/劇作家、演出家)といった人たちが熱心に取り組み、徐々に世間の耳目を集めはじめていた。

漱石は本場ロンドンでも繰り返し劇場に足を運んでおり、近代社会の中で、新劇が確かな位置を占めていくようになることを予見していた。実際、ほどなく、松井須磨子という人気女優も出現し、『人形の家』や『復活』で世間の評判をさらっていく。

そうした動向を見抜いていたからこそ、漱石は、歌舞伎という伝統文化もただ昔ながらの風習に縛られ、そこに甘んじるのでなく、時代の変化に合わせて磨き上げていくことが必要だと感じていた。だから、あえて厳しい批評もした。自身、明治の文学者として、新時代にふさわしい新しい文学をつくり上げていくことに心血を注いでいたからこそ、そうした点には余計に敏感だった。

漱石先生の愛を秘めた厳しい批評から100 年余。昨今の歌舞伎の隆盛も、斯界(しかい)のリーダーたちが旧弊に甘えぬしっかりした意識をもち、かつ不断の努力を重ねている賜物なのだろう。ジャンルは異なるが、世界的なウイスキーの名ブレンダーが、こんなことを語ってくれたのを思い出す。

「時代とともに、飲み手も成長します。同じブランドのウイスキーが変わらずに受け入れられるためには、常によりよいものを求め、しっかりしたベースを保ちながらも、少しずつ変化させ向上させていく必要があるのです」

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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