サライ.jp

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。

■今日の漱石「心の言葉」

とらわれちゃ駄目だ。ひいきの引き倒しになるばかりだ(『三四郎』より)

1900年パリ万国博覧会当時の写真を元にした観光用絵葉書。エッフェル塔周辺からパリ中心部にかけて多くのパビリオンが立ち並び、町の中を馬車が走る。留学生の漱石は、まさにこんな光景を目の当たりにした。

1900年パリ万国博覧会当時の写真を元にした観光用絵葉書。エッフェル塔周辺からパリ中心部にかけて多くのパビリオンが立ち並び、町の中を馬車が走る。留学生の漱石は、まさにこんな光景を目の当たりにした。

【1909年5月11日の漱石】

今から105 年前の今日、すなわち明治44年(1911)5月11日、漱石は洋服に夏帽子をかぶり、上野公園で開かれている東京勧業博覧会の見物に出かけた。

この博覧会は、当初の政府の計画では、ロンドンやパリで開催されている万国博覧会にも匹敵する規模で、青山から代々木一帯を会場として開かれるはずのものだった。ところが、財政的に余裕がなく、規模をうんと縮小して上野公園で開催されたのだった。

なにせ日本政府には金がなかった。明治38年(1905)9月、日露戦争に勝利して、表面的には颯爽(さっそう)と一等国の仲間入りをしたかのように見えていたが、実際には、国力ぎりぎりのところでの辛勝だった。20億円近くかかった戦費のうち、78%は外国からの借り入れだったとも指摘される。そのうち約8億2千万円は、のちの”ダルマ蔵相”高橋是清(たかはし・これきよ)が、欧米を奔走(ほんそう)して外債募集を成功させて調達したもの。ロシアから賠償金もとれず、是清は戦後の日本経済を建て直すためにも、追加で約4億5千万円の外債募集を実施している。

そんな内実を知らず、戦勝気分に浮かれて浮足立つ世論。危うさをはらむ日本の行く末を案じ、漱石は釘を刺した。

《戦争以降一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすれば出来るものだと思います》(『現代日本の開化』)

《日本は西洋から借金でもしなければ、とうてい立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。(略)あらゆる方向に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ》(『それから』)

小説『三四郎』の冒頭、東海道線に乗って東京へ向かう途中の三四郎が、「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と戦勝後の日本を擁護するように言うと、同乗の紳士から、「亡びるね」とすました顔でやり込められる場面がある。これも、漱石の痛烈な社会批判であり、諫言(かんげん)でもあっただろう。

しかし、このあと、次第に尊大になって暴走する「大日本帝国」は、無謀な戦争に突き進み、崩壊するのである。漱石先生の死から、わずか30年足らずの間の出来事だった。

さて、漱石と博覧会とは、以前から浅からぬ縁があった。

明治40年(1907)の東京勧業博覧会は、小説『虞美人草』の舞台に取り入れた。それより前、英国留学への途中、明治33年(1900)のパリ万博も、漱石はその目で見た。《大仕掛けにて何が何やら一向方角さえ分りかね》るほどの規模の大きさに圧倒されながら、89年パリ万博で建てられたエッフェル塔にも登り、そのことを妻・鏡子あての手紙につづっている。

《名高き「エフェル」塔の上に登りて四方を見渡し申し候》

妻を相手に、ちょっと自慢げに胸をそらしている漱石先生の様子が目に浮かぶ。

今回、明治44年(1911)の東京勧業博覧会では、蓄音機輸入販売店の三光堂の、広告のために鳴らし続けている蓄音機の音が、もっとも漱石の印象に残った。パリの万国博覧会に比して、なんとそのスケールのささやかなことか。

博覧会場の裏手では植木が売られており、漱石はふらりとそこも覗いてみた。赤紫の花をつけた蘭の鉢植えが置いてあって、値札を見れば3円50銭。漱石はそれを買い求めようと手を延ばしかけたが、荷物になるので思いとどまった。市電で江戸川停留所まで戻った頃には、少々疲れを感じ、往路は歩いた道筋を人力車を雇って帰った。

この日は木曜日で、門弟たちが漱石の自宅に集う木曜会の日だった。

夕刻、まず現れたのは国文学者の坂本雪鳥(さかもと・せっちょう)で、空腹だというので漱石は鰻丼をとってやった。漱石の門弟たちは、なかなか甘え上手というか、遠慮がないというか。漱石も、それを当たり前のように包み込んでいる。若い者たちが旺盛な食欲を発揮するのは、自身が胃に弱点があるだけに、見ていてかえって愉快でさえある。

やがて小宮豊隆、野上豊一郎、鈴木三重吉らもやってきて、夜11時過ぎまで、皆でにぎやかに語らう。この夜の漱石先生、パリ万博の規模の大きさを門弟たちに語り聞かせる一場もあっただろうか。 

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

「日めくり漱石」の記事一覧へ

ランキング

人気のキーワード

新着記事

ピックアップ

サライプレミアム倶楽部

最新記事のお知らせ、イベント、読者企画、豪華プレゼントなどへの応募情報をお届けします。

公式SNS

サライ公式SNSで最新情報を配信中!

  • Facebook
  • Twitter
  • Instagram
  • LINE

サライ最新号
2020年
10月号

サライ最新号

大人の逸品Online Store

通販別冊
通販別冊

心に響き長く愛せるモノだけを厳選した通販メディア