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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

動物のうちには子を産むために生きているのか、死ぬために子を産むのか解らないものがある。人間も緩慢ながらそれに準じた法則にやっぱり支配されている(『道草』より)

漱石遺愛の筆洗用陶磁器。中国北宋時代の詩人による漢詩の字句と、四季の花の文様によって、春夏秋冬を描き出している。日本には古くから、割れた陶磁器を漆でていねいに接着し、その接着部分に金粉をまいて仕上げる「金継ぎ」という修復技法があり、中国渡来の茶器などに施された。この筆を洗うための陶磁器も、中国製で、日本で金継ぎしたものと思われる。神奈川近代文学館所蔵

漱石が筆を洗うために使った筆洗用青磁器。色彩感覚がとりわけ鋭敏だった漱石が好んだのは、この器のような涼やかで淡い緑色だった。県立神奈川稀代文学館所蔵

 

【1901年5月8日の漱石】

今から115 年前の今日、すなわち明治34年(1901)5月8日、ロンドン留学中の34歳の漱石は、ストーブの上に飾った妻と娘の写真を眺めながら、妻・鏡子に宛てた手紙を書いていた。

ストーブの上に飾られている写真は鏡子が日本から送ったもので、6日前に漱石の手元に届いた。厚紙にはさんで糸でくくってから封入するようにと、あらかじめ漱石が細かく指示していたので、配達の途中で折れ曲がったりすることもなく無事に着いていた。

漱石は手紙と写真が到着していることをまず告げて、《久々で写真を以て拝顔の栄を得たが、相変わらず御両人とも滑稽な顔をしておるには感服の至りだ》と愛情とユーモアをこめてつづっていく。漱石先生の温和な微笑が目に浮かぶようだ。

そして、漱石は、10歳年下の妻に向かって、こんな注文も記した。

《善良なる淑女を養成するのは母のつとめだから能(よ)く心掛けておらねばならぬ。それにつけては、御前自身が淑女という事について一つの理想をもッていなければならぬ。この理想は書物を読んだり自身で考えたり、または高尚な人に接して会得するものだ。ぼんやりしていてはいけない。飯を食わして着物をきせて湯をつかわせさえすれば母の務めは了(おわ)ったと考えられてはたまらない。御頼(おたの)もうしますよ》

娘をきちんとした「淑女」に育て上げるのは、母親の役目。そのためには、まず母親自身が、「淑女」というものについて、しっかりとした理想像を持たねばならない、というのである。説教くさい話に終始してしまいそうな文面を、最後、「御頼(おたの)申しますよ」とひと言添えることで、さりげなく愛情で包み込んでいる。遠く離れているからこそ見せた、漱石先生の、家長としてのこまやかな気遣いであった。

ちなみに、森鴎外も再婚の妻・しげ子宛ての手紙で、長女の茉莉(まり)が薄汚れた娘にならないよう、顔や手をよく洗ってやってくれとか、絵本を買ってやって、それを大切にしまっておくような癖をつけさせておくれ、などと細かな注意を与え、さらにはこんな手紙も書いている。

《人はえらい人から凡俗まで、曲りそうになる心をためなおして行くものであろう。それが、えらい人のははたから見ればいつも真っ直ぐに見える。(略)曲るものをためなおす定木(じょうぎ)は仏法でも孔子の教えでも西洋哲学でもなんでもよい。ただ香をたいて安坐していてもよい》(大正10年11月15日付)

漱石も鴎外も、夫として家長として確かな自覚を持っていたから、こうした手紙が残されることになったのだろう。ついでにいうと、鴎外の妻のしげ子も、漱石の妻・鏡子と同じく、朝寝坊だった。

文豪たちのこんな手紙を見ていると、ふと、漱石遺愛の筆洗用陶磁器を想起する。漱石はこの筆洗いに使う陶磁器の割れた部分を金継ぎで補修し、磨き上げるようにして使った。ひとつの美意識のようなものを基底にもって、身近において育て上げていくという意味では、子育てにも通じる心配りを感じるのである。

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漱石遺愛の筆洗用陶磁器。中国北宋時代の詩人による漢詩の字句と、四季の花の文様によって春夏秋冬を描き出している。日本には古くから、割れた陶磁器を漆で接着し、接着部分に金粉をまいて仕上げる「金継ぎ」という修復技法があり、中国渡来の茶器などに施された。この陶磁器も中国製で、日本で金継ぎしたものと思われる。写真/神奈川近代文学館所蔵

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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