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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

思いがけぬ心は心の底より出(い)で来る、容赦なく乱暴に出で来る(『人生』より)

リサイズ4月6日使用文(坪内逍遙銅像)DSCF0186

早稲田大学構内に立つ坪内逍遥の銅像。坪内逍遥(1859~1935)は『小説神髄』『当世書生気質』などの著作で、日本の小説界に写実主義を導入。東京専門学校に文学科を創設し、その機関誌『早稲田文学』を通じても後進の育成に尽力した。その後、新劇運動にも取り組み、シェークスピアやイプセンなどを紹介した。

 

【1892年5月6日の漱石】

今から124 年前の今日、すなわち明治25年(1892)5月6日、漱石は帝国大学文科大学(現・東京大学)の学生(3年生)でありながら、東京専門学校(現・早稲田大学)の講師となった。推薦者は、東京専門学校教授で哲学者の大西祝(おおにし・はじめ)だった。

東京専門学校では、この2年前に坪内逍遥(小説家・評論家・劇作家)が創設した文科の陣容を整えるため、講師となる人材を求めていた。漱石のほかに、漱石の友人で帝大の大学院に在籍している小屋保治(こや・やすじ/のちに歌人で作家の大塚楠緒子と結婚して大塚保治となる)にも声がかけられたという。

大学名だけを現在の呼称に変えると、現役の東大生が講師となって早稲田大学の学生に講義をするという奇妙な図式となるが、当時の東京帝大の学生は、それだけ特別な存在だった。

漱石は学費を補うためもあって、この依頼を引き受け、はじめは週に2回、のちに週に3回、教壇に立った。前任者の後を受けてテキストに使ったのは、英国の詩人ジョン・ミルトンが言論と読書の自由を論じた『アレオパジティカ』。内容が難しく、教える側の漱石もなかなか苦労したようだった。

漱石の講義を聴く学生の中には、正岡子規の従弟で俳人の藤野古白(ふじの・こはく)や、のちに評論家として活躍する綱島梁川(つなしま・りょうせん)、国文学者となる五十嵐力(いがらし・ちから)などの姿もあった。東京専門学校での漱石の講師生活は、愛媛県尋常中学校(松山)へ赴任する直前、明治28年(1895)の3月まで続いた。

漱石は後年、『僕の昔』と題した談話の中で、藤野古白のことをこう語っている。

《あの早稲田の学生であった、子規や僕等の俳友の藤野古白は姿見橋--太田道灌の山吹の里の近所の--辺の素人屋(下宿)にいた。僕の馬場下の家とは近いものだから折々にやってきて熱烈な議論をやった》

この一文からも、明治期の大学の先生と生徒の関係は密接で、人間的なふれあいも濃かったことが窺える。そして、古白という青年、子規の従弟だけに、なかなかに熱い男なのだった。

ちなみに、「素人屋」とは一般家庭の営む下宿のこと。また、「太田道灌の山吹の里」とは、新宿区西早稲田3丁目、神田川にかかる面影橋の辺り。室町後期の武将・太田道灌が鷹狩りからの帰途、その付近で雨に降られ、蓑(みの)を借りようと立ち寄った農家で、若い娘に一枝の山吹の花を差し出された故事がある。道灌は不快の念を抱いて帰ったが、あとで配下の者から、それは『後拾遺和歌集』の、《七重八重花は咲けども山吹の実(み)のひとつだになきぞかなしき》という歌にかけて、貧しくて蓑のひとつも持たないことを嘆き訴えたのだと聞かされた。道灌は自身の不明を恥じ、以降、和歌の道にも励んだという。

古白は、俳句づくりのほかに、小説や芝居の脚本なども手がけたが、漱石が東京を離れ愛媛の松山に赴(おもむ)いた直後、自ら命を絶った。このとき子規もまた、従軍記者として日清戦争末期の中国大陸へ渡るべく東京を離れていて、古白の衝動を抑え得る者がいなかったのである。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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