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東大の教壇に立つも、いきなり生徒から総スカンを食らう夏目漱石、一体なぜ?【日めくり漱石/5月4日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

同じことを言っても西洋人の言ったことであれば立派なものとされる。大勢はかくの如きものである(『戦後文界の趨勢』より)

小泉八雲来日後の第一作、みずみずしい筆致の『日本瞥見記』上下2巻と、妻の節子(セツ)と長男の一雄によって実生活の中での生きた人物像を描き出した好著『小泉八雲』。いずれも、恒文社から刊行されている。

小泉八雲来日後の第一作、みずみずしい筆致の『日本瞥見記』上下2巻と、妻の節子(セツ)と長男の一雄によって実生活の中での生きた人物像を描き出した好著『小泉八雲』。いずれも、恒文社から刊行されている。

 

【1903年5月4日の漱石】

明治36年(1903)5月4日、今から113 年前の今日、36歳の漱石は、東京帝国大学文科大学で英文科の学生を相手に「英文学概説」の講義を行なっていた。漱石が東大の講師に任命されたのはこの年の4月15日。その5日後から教壇に立ったので、約2週間が経過していた。

総じて学生たちの授業態度は悪く、ある者は頬杖をついて聞き流し、ある者はペンも執らず居眠りをしているというありさまだった。

漱石の前任者は、ギリシア生まれのイギリス人で文学者の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)であった。八雲は3月末に退任していたが、学生たちの間では高い人気があり、留任運動が起きたほどだった。その反動があって、後任者が誰であるかを知ったときから学生たちは、

「夏目金之助とかいう、『ホトトギス』に俳句を寄稿している、田舎の高等学校教授上がりの先生がくるらしい」

などと噂し、顔を見る前から反抗心をあらわにしていたのだった。

西洋人の教師は偉くて、日本人の先生はたいしたことはない。そんないわれなき先入観も、学生たちの頭の中にこびりついていたのかもしれない。

実際に彼らの眼前に現れた漱石は、ハイカラ(高襟)のシャツと体にぴたりとなじんだフロックコートを着て、ぴかぴかの革靴をはき、髪は左右にきれいになでわけ、左右の先端をぴんとはねあげてコスメチックで固めたカイゼルひげを純白のハンカチを使ってさっと磨く、いかにも洋行帰り風の紳士だった。そんな漱石の身なりや態度につい圧倒されてしまうだけに、かえって反発したくなるのが若い自意識というものだった。

「英文学概説」と題した講義の冒頭で、漱石が「諸君のご希望によっては英語でお話してもよろしいですが…」と挨拶したのも、学生たちには面白くなかったのかもしれない。偉そうに反抗していても、そう言われてしまうと、英語での講義についていく自信のある学生はひとりもなく、希望者はゼロ。これを受けて漱石は、必要に応じて英語の発音について注意を与えながらも、日本語で授業を進めていくやり方を採用していた。

そうした漱石の英文学者としての高い実力、人間的な懐の深さに触れ、学生たちの反発心はほどなく高い人気へと変転していくのはいうまでもない。

少しさかのぼれば、松山時代の漱石にも、こんな逸話があったのを思い出す。

新調の紺サージの背広に赤革の靴という出で立ちで教壇に現れた漱石は、まずは前任者の英国人教師とそっくりの流暢な発音で生徒たちの度肝を抜いた。続いて、テキストの訳読をめぐって生徒の間違いを指摘した。

「それでも字引にあったぞな、もし」と食い下がる生徒に、漱石は尋ねる。

「何の字引だ?」

生徒は得意満面で、「棚橋一郎先生の字引じゃがな、もし」と言う。

おそらく生徒は、教育者の棚橋一郎(現在、東京都文京区にある郁文館中学校・高等学校の創立者で後に衆議院議員)が米国の英語学者イーストレーキとの共編で刊行した『ウェブスター氏新刊大辞書 和訳字彙』のことを言ったのだろう。この辞書は、当時の日本でもっとも信頼されていた権威ある辞書のひとつとして、英語を学ぶ者たちの間に広く普及していた。

ところが漱石先生、ためらうことなく、さらりとこう言う。

「そうか、それは辞書が間違っている。直しておけ」

生徒は驚嘆した。授業が終わって教室を飛び出すと、こう叫んだ。

「今度の先生は偉いぞう。字引を直せちゅうがあ」

時を経て、明治36年(1903)時点のいま、東大の教壇で「英文学概説」を講ずる漱石が、この棚橋一郎が創立した郁文館中学に隣接する家に住んで、そこの生徒たちの粗暴ぶりに少々悩まされているのは、不思議な縁といっていい。

なお、漱石は、このように、小泉八雲と間接的に敵対するような形の関わり合いを持つことになっても、見る目を曇らせることはなかった。八雲の教育者としての業績や日本の文化を海外へ紹介した著作も正しく評価し、他の大学教師連中とは一線を画すべき存在として賞賛していた。

それは、小説『三四郎』の中の、次のような記述からも読み取れる。

《ポンチ画の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へはいるのが嫌で講義が済むといつでもこの(池の)周囲をぐるぐる廻ってあるいたんだと、あたかも小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、「そりゃ当り前ださ。第一彼らの講義を聞いても解るじゃないか。話せるものは一人もいやしない」》

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

    
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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