『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

明窓浄机。これが私の趣味であろう。閑適(かんてき)を愛するのである(『文士の生活』より)

渡辺千秋旧蔵の『赤城落穂集』。春夏秋冬の4巻からなる。表紙には分類票が貼り付けられ、本文ページの始めに「渡辺千秋蔵書」の印が捺されている。息子の渡辺千冬は、父親のこうした蔵書を手にとる機会があったのかどうか。どんな経緯でこの本が古本市場に出たのか。いろいろと想像をめぐらしてみたくなる。

渡辺千秋旧蔵の『赤城落穂集』。春夏秋冬の4巻からなる。表紙には分類票が貼り付けられ、本文ページの始めに「渡辺千秋蔵書」の印が捺されている。息子の渡辺千冬は、父親のこうした蔵書を手にとる機会があったのかどうか。どんな経緯でこの本が古本市場に出たのか。いろいろと想像をめぐらしてみたくなる。

   

『赤城落穂集』の中には図版も豊富に収められている。手前右、秋の巻には討ち入り装束の「赤垣源蔵」の姿も描かれる(右から3人目)。

『赤城落穂集』の中には図版も豊富に収められている。手前右、秋の巻には討ち入り装束の「赤垣源蔵」の姿も描かれる(右から3人目)。

 

【1909年5月1日の漱石】

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)5月1日、42歳の漱石はふと思い立って、芝・麻布方面のお屋敷街へ出かけた。取り立てて用事があったわけでもなく、知り合いがいるわけでもない。ただ、なんだか広々とした立派な屋敷を見てみたくなったのであった。

とくに漱石の目をひいたのは、芝区白金三光町の林董(はやし・ただす/駐英公使、外務大臣もつとめた政治家)の邸宅や、麻布区西町の渡辺千冬(わたなべ・ちふゆ/のちに司法大臣となる政治家・実業家)の邸宅だった。

「こんな屋敷に一度は住んでみたいもんだ」

そんな言葉を胸の内でつぶやきながら、借家住まいの漱石は早稲田南町の自宅、通称「漱石山房」へと帰り着いていく。

この日の漱石日記の記述。

《麻布を六七町見物して帰る。林董の家、渡辺千冬の家、その他、名を知らぬ大きな邸宅を見る。この辺、樹木多し。宅地も余裕あり。こんなところの大きなやしき一つ買って住みたいと思いながら帰る》

ふだんは俗塵を離れた境地をよしとしていても、ふと世の平々凡々たる庶民と同じ気分に駆られ「大きな屋敷に住みたい」などと嘆息しているあたりが、かえって人間らしくて親しみの持てる漱石先生の姿なのである。

漱石山房の建物は平屋建てで、およそ60坪。現在の感覚からするとそれなりの広さだが、夫婦に子供6人(5女のひな子はまだ生まれていない)と猫1匹、それに住み込みのお手伝いさんもいて、門弟たちの出入りも多い。また、漱石の書斎とこれに続く応接間は、たくさんの蔵書も置かれた仕事場であることを考えると、かなり手狭なのである。

ちなみに、この日、漱石が羨望の思いで見た屋敷の持ち主の渡辺千冬の父親は、宮内大臣をつとめた渡辺千秋である。偶然ながら、その渡辺千秋の旧蔵書だった赤穂義士関係の資料(和綴じ本)『赤城落穂集』全4冊が、祖父の遺品として筆者の手元にある。渡辺千秋は蔵書家としても知られ、多くの本を分類整理して保有していた。後年、その蔵書が売り払われ古本屋に出回っていたのを、筆者の祖父が購入したものらしい。

漱石も赤穂義士には相応の理解と興味を持っていて、関連する以下のような句も詠み残している。

《源蔵の徳利をかくす吹雪哉(かな)》

《吉良殿のうたれぬ江戸は雪の中》

前の句は、赤穂義士のひとり赤垣源蔵(あかがき・げんぞう)が、討ち入り直前の雪降りしきる中、別れの挨拶のため兄の家を訪ねたが留守だったため、衣紋掛けにかけた羽織を相手に別れの盃を交わしたという『忠臣蔵』の逸話を俳句に仕立てたもの。

後の句は、赤穂義士の吉良邸への討ち入りの日、江戸市中には雪が降っていたという歴史的事実を背景に、事が成ってようやく雪に降り込められたように、鬱屈(うっくつ)していた気持ちが晴れ晴れしたという江戸の庶民感情を重ねたものと読める。

さて、その日の夜、佐藤紅緑(さとう・こうろく)が訪ねてきた。紅緑は正岡子規の門下で俳句を修養し、この頃は種々の新聞・雑誌で俳句選者をつとめるかたわら、芝居の脚本などを書いていた。少年小説の大家として名をなすのは昭和に入ってから。詩人で作詞家のサトウハチロー(1903~1973)、作家の佐藤愛子(1923~)は、ともにこの人の子供である。

おしゃれの好きな漱石は、紅緑の服装をさりげなく観察した。

縮緬(ちりめん)の格子縞の袷(あわせ/裏地付きの着物)に、同じ茶色の羽織を着て、その上に、やはり縮緬らしい道行(みちゆき/和装用の外套)を着用。長襦袢は羽二重。なかなか凝ったものだった。

しばらく歓談した後、紅緑は外に待たせていた俥(くるま/人力車)に乗ってさっそうと引き上げていった。粋なものである。漱石先生、半ば感嘆してこれを見送る。

白金や麻布の広く立派なお屋敷から、佐藤紅緑の凝った服装と颯爽たる立ち振る舞いまで。なにがなし目の保養をしたような漱石の1日であった。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

    
文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

 

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