新着記事

イニシャル入りロックグラス|いつもの一杯を極上の一杯にするマイグラス

定年を迎えた男性の“ごはん問題”を解決|『定年ごはん』

定年を迎えた男性の“ごはん問題”を解決|定年ごはんの作り方

【家事に関するアンケート調査】普段行う家事で女性より男性の方が上位なのは「ゴミだし・分別」「風呂掃除」など。

30代から50代の女性の6割以上が日常の家事を負担に感じている

オーダースーツ

経営者はなぜ「オーダースーツ」を着るのか?

BLACK LAGOONラベル シングルモルト・ウイスキー|9月19日12:00 発売開始!

マイルス・デイヴィス『クッキン』

「イケメンでなくても好き」という大ヒット・ラブソング【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道24】

シニアライダーの8割以上がバイクマナーに自信アリ!!|シニアライダーに関する実態調査

シニアライダーは孤独を好む!? 約9割はソロツーリング派

【ビジネスの極意】「ダメな部下」を使わないといけない課長の苦悩

【ビジネスの極意】「ダメな部下」を使わないといけない課長の苦悩

波佐見焼のおひつ2色セット|冷やご飯が、ふっくら炊き立てによみがえる

【管理栄養士が教える減塩レシピ】|旬のさんまを使った炊き込みご飯と蒲焼きレシピ

【管理栄養士が教える減塩レシピ】旬のさんまを使った炊き込みご飯と蒲焼きレシピ

LINE公式アカウントでも記事を配信中

友だち追加

お気軽に友達追加してください

サライ本誌最新号(クリックで試し読み)

サライ7月号付録「筋トレチューブ」トレーニング動画公開中!

通販別冊『大人の逸品』最新号はこちら

ピックアップ記事

  1. 東寺
  2. 世界遺産の構成資産内にある旧五輪教会。傘を開いたようなコウモリ天井の下、イエスを抱いた聖ヨセフ(イエスの養父)が佇む。手前の聖体拝領台(柵)の意匠は大浦天主堂(長崎市・世界遺産)と共通。鳥の声と波の音が堂内にこだまする。

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

趣味・教養

夏目漱石、教え子から就職の相談を受け、八方手を尽くす。【日めくり漱石/4月25日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

自活のはかりごとに追われる動物として、生を営む一点から見た人間は、土俵の上の相撲とりの如く苦しいものである(『思い出す事など』より)

漱石山房(3/16使用)0316-300x215

東京・早稲田南町の漱石山房。開け放たれた書斎と続きの部屋で、漱石を訪ねる訪問客の多くがここで応接された。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

  
【1908年4月25日の漱石】

今から108 年前の今日、すなわち明治41年(1908)4月25日、41歳の漱石は熊本五高で教壇に立っていた時代の教え子のひとりを、前年の9月に引っ越してきた東京・早稲田南町の自邸(通称、漱石山房)に招き入れていた。

明治時代には、八つの官立高等学校が各地に誕生している。東京に一高、仙台に二高、京都に三高、金沢に四高、熊本に五高、岡山に六高、鹿児島に七高、名古屋に八高。名古屋八高が新設されたのは、この明治41年(1908)4月のことだった。

この日、漱石が訪問を受けた教え子の名前は小島武雄。彼は熊本五高卒業後、7年間、愛媛の松山中学で英語教師をつとめていたが、この春に辞任して上京し、新天地で働きたいと模索していた。そんな折に小島が耳にしたのが、名古屋八高の新設だった。その名古屋八高で再出発を期したいと思い立ち、かつての恩師である漱石に相談をしにきたのである。

八高校長の大島義脩(おおしま・よしなが)と漱石はほとんど面識がなく、直接紹介することは難しかった。漱石の頭に思い浮かんだのは、学生時代からの旧友の狩野亨吉(かのう・こうきち)である。亨吉からは大島義脩につながる密接なルートがあり、なおかつ亨吉は、かつて熊本五高の教壇に立っていて、聞けば小島武雄自身も1年間教わったことがあったという。

漱石は、急ぎ狩野亨吉宛ての紹介状を書いた。

《この手紙持参の人は(略)小島武雄氏とて、英文卒業の学士(略)小生在熊中の学生にて人物学力共に第八教授としては申し分なき良師たるは、小生の固く信じて疑わざる所に御座候》

小島はこの紹介状を、ありがたく受け取った。相変わらず、若い人の就職の世話に労を惜しまぬ漱石なのだ。

しかし、漱石といえども万能ではない。思うようにことが進展しないときもある。小島は結果的に八高に職を得ることはできなかった。新設の大型プロジェクトだけに、先んじて教職員の手当てもすでについていたのかもしれない。

結局、漱石は引き続き小島の就職口のことを心にかけ、2度にわたって小島に手紙を書いている。その2通目に、漱石は次のように書いた。

《拝啓 明治学院講師皆川正禧氏、今般、鹿児島高等学校へ赴任につき、後任として大兄を推挙するよう野間真綱氏より依頼ありたる旨につき、もし御希望も有之(これあり)候えば、(略)履歴書至急送り相成度(あいなりたき)由(よし)に御座候》(明治41年9月4日付)

手紙内容を簡単にいうと、漱石の弟子のひとり皆川正禧が、ちょうど明治学院の講師を辞めて鹿児島の高等学校へ転任するから、その後釜に小島を推挙しようという話がある、その気があるなら急いで履歴書を送れ、というのである。

このあと小島がこの推挙を受けて明治学院講師となったのかどうか、じつのところ定かではない。ただ、これ以降、漱石から小島へこの類の手紙が送られた形跡はないから、おそらく事は成就したか、もしくは別のルートで仕事の口は見つかったのだろう。

漱石先生、そういうことを中途で放り出すような無責任なやり方は、好まぬ人であったから。

夏目漱石肖指定画像(神奈川近代文学館)720_141-02a

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

    

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

PAGE TOP