『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
功業は百歳ののちに価値が定まる(『書簡』明治39年10月21日より)

漱石の門弟、森田草平が平塚らいてうとの恋愛事件を題材にした朝日新聞の連載小説『煤煙』(岩波文庫)。
【1909年4月22日の漱石】
今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)4月22日は曇り空だった。前日、体調を崩した鏡子は、そのまま病床に伏せっていた。長男の純一と四女の愛子も、昨夜から引き続き調子が悪そうだった(詳しい記事を読む)。
午後になって、弟子の森田草平(もりた・そうへい)がやってきた。草平はこの時期、漱石の後押しを得て朝日新聞に小説『煤煙(ばいえん)』を連載中だった。
草平が言うには、その原稿料の残額を朝日新聞社にもらいに行ったところ、「1回3円50銭の約束で、未払いの稿料はない」と断られたというのだった。草平は続けて、こんなふうに漱石に泣きついてきた。
「先生からは、大塚楠緒子さん(歌人・作家)の『空薫(そらだき)』と同じで、1回の原稿料は4円50銭とお聞きしていました。これでは話が違います!」
漱石は自分がどう草平に伝えたのか、数字までははっきりと覚えていなかった。だが、ともかく当の本人の草平がそう言うのだから、妻子の体調の心配はいっとき横に置いて、朝日新聞社員の坂元雪鳥(さかもと・せっちょう)に問い合わせの手紙を書いた。
《煤烟は社へ掲載の約束なりたる当時、原稿料は大塚氏のそらだき同様にてよろしきやとの渋川氏の問(とい)に対し、承知の旨を答へ置候。そらだき原稿料は一回四円五十銭と記憶致し候が間違に御座候や(略)もしそらだきが一回三円五十銭ならば小生の覚え違い、草平に対し小生の責任に候が、小生は四円五十銭と記憶致候につき念の為め御問合申候》
問い合わせの結果、朝日との話では、森田草平の稿料は初めから1回3円50銭の約束だったことが判明した。そこで漱石は、自分の勘違いで草平に「1回分4円50銭」と伝えてしまったに違いないと思った。
漱石は草平に対し、「迷惑をかけて悪かった」と率直に謝罪した。その上で、連載終了後に単行本を発行してもらうよう話をまとめてある春陽堂に手紙を書き、その印税を前借りできないものかとお願いした。原稿料のアテが外れたことで、草平が当座の金に窮することのないようにとの気遣いからだった。なんとも面倒見のいい師匠である。
ところが、あとになって、漱石は最初から草平に原稿料は1回3円50銭と伝えており、草平の方が勝手に勘違いしていたことが判明した。
本人に悪気があったわけではないが、草平は女性と心中未遂事件を起こすなど私生活で不祥事が多く、漱石本人も認める不肖の弟子だった。それでも、漱石先生が親身になって面倒を見続けたのは、俗にいう、「出来の悪い子ほど可愛い」というような心情が働いていたにちがいない。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。
