『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
心に窮屈なところがあってはつまらない(『書簡』明治39年11月9日より)

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
【1916年4月18日の漱石】
今から100 年前の今日、大正5年(1916)4月18日、49歳の漱石は東京帝国大学医科大学の物理的治療所へ足を運んだ。松山時代の教え子で、同治療所に勤務する医師・真鍋嘉一郎の診察を受けるためだった。
この少し前、たまたま医科大学のある学生が漱石邸を訪問したところ、漱石が「腕が痛い」という言葉をもらしていた。その学生があいだに入って真鍋嘉一郎と連絡をとり、この日の診察が実現したのだった。
診察の結果、いままでリューマチだとばかり思い込んでいた腕の痛みは、どうやら糖尿病が原因ではないかという診断がなされた。以降3か月、嘉一郎による継続的な検査と治療が実施されることになった。
この当時はまだ、糖尿病治療薬としてのインシュリンがない。糖尿病患者は食事療法で糖分の摂取を減らす以外、これといった有効な治療法がなかった。漱石のもっとも古くからの持病である胃潰瘍の治療にしても、あつあつに熱したコンニャクを腹の上にのせて温める「蒟蒻湿布(こんにゃくしっぷ)」なる療法が病院で施されていた。腹が火傷しないわけはなく、痛いし、火ぶくれはできるしで、入院してこの治療を受けた漱石は、「病気よりもこっちが苦痛」と訴えるほどであった。
もっとも、患者の中にはこの荒療治に負けぬほどの強者もいて、腹が減って自分の腹の上にのせていたコンニャクを食べてしまうといったこともあったらしい。ちなみに、蒟蒻湿布は現代においても、肝臓や腎臓など臓器を温めることで活性化させ疲労回復などの効果が期待できる民間療法としてつとに知られる。
さて、糖尿病患者としての漱石は、嘉一郎のいいつけに沿って食事を制限し、模範的ともいえる患者ぶりを見せたという。甘党の漱石としては、かなりつらかったかもしれない。ただし、漱石は、ただやみくもに医者の指示に従うというスタンスをとってはいない。嘉一郎に手紙でこんな疑問もぶつけている。
《如仰(おおせのごとく)蛋白のみ摂取致候と反(かえ)って酸を増し候にや 胃痛も起り運動も出来かね候》
近代的知識人として、治療の中味も勉強し、しっかりと主治医との合意形成を図っている漱石先生なのであった。
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。
