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夏目漱石、酒に酔って喧嘩沙汰を起こし、大怪我をした弟子の治療費を用立てる【日めくり漱石/4月14日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

酒を飲むならいくら飲んでも平生の心を失わぬように致したし(『書簡』明治42年1月24日より)

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小説家で児童文学者でもあった鈴木三重吉は、ひと晩で酒一升を平らげるほどの酒豪だったという。

 

【1909年4月14日の漱石】

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)4月14日、42歳の漱石は、門弟の小宮豊隆にこんな頼みごとをした。

「銀行に行って俺の口座から50円引き出して、三重吉に送ってやってくれないか」

鈴木三重吉も漱石の弟子のひとりだが、怪我で千葉の病院に入院していて、3日ほど前、病院から漱石宛てに金を送ってほしいという手紙をよこしていた。

漱石先生、門弟たちに対して優しくても、常に甘いわけではない。趣味や贅沢に使うようなお金を無闇に用立ててほしいというようなわがままを言っても、「御免こうむりたい」と断る。だが、ほんとうに困っている者にはきちんと手を差し伸べる。そういう意味では、じつに頼り甲斐のある先生だった。

鈴木三重吉は、この少し前、千葉・成田の中学校に職を得ていた。三重吉はもともと酒好きで、しかも、あまり酒癖がよくない。漱石はかねてからそんな三重吉を危なっかしい思いで見ていたが、この成田行きに際し三重吉は禁酒を誓った。漱石はほっとするとともに、訓戒と激励の手紙を送っていた。

ところが、それからふた月かそこらのうちに、三重吉は酒に酔って鳶(とび)職人と喧嘩し、目の上をしたたかに殴られて視力にも支障をきたしかねない怪我を負い、入院するはめになった。怪我をした経緯に感心はできないが、漱石としてはなんとか三重吉を救ってやらねばならなかった。

ふと、酒好きで知られた俳人・尾崎放哉(おざき・ほうさい)の逸話が思い出される。

放哉も終の住処(すみか)となる小豆島(しょうどしま)へ向かう前日、京都で催された送別の宴で、兄事する俳人・荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい)らの前で酒を慎むことを約束した。井泉水は、放哉に乞われるまま、白扇(はくせん)にこんな一句をしたためて贈った。

「翌(あす)からは禁酒の酒がこぼれる」

東大出身のエリートながら、会社をクビになり、愛妻とも別れる破目になるなど、放哉はこれまで何度となく酒で失敗を繰り返してきた。小豆島では、もう同じ轍は踏むまいぞ。明日からは禁酒。今夜だけは、別れの酒を酌み交わそう。井泉水はそんな意を込めて、この餞(はなむけ)の句を詠んだのだった。

翌日、放哉は小豆島へ渡り、望み通りの独居生活に入った。だが、井泉水の白扇は、作者の思いと裏腹に、しばしば放哉が戒めを破る言い訳のために使われた。明日からは禁酒する、今日は飲ませてくれ、というわけだった。

三重吉も放哉も、ある意味同類だった。いや、酒飲みというのは、みな似たり寄ったりなのだろう。

話を、明治42年(1909)4月14日の漱石に戻す。

漱石のもとにその後、高浜虚子から「田楽をご馳走するから遊びにこないか」という手紙が届いた。当時の日本ではまだまだ各戸へ電話が行き渡っておらず、その日の用事を手紙でやりとりすることもしばしばだった。郵便の配達はそれだけ頻繁だし、使いの者に託して手紙を届けるというやり方も利用されていた。

夕刻、麹町の虚子庵に赴くと、漱石門下の松根東洋城、小宮豊隆、野上豊一郎もやってきていた。東洋城は、稲荷寿司を手土産に持参していた。漱石は元来が下戸なのだが、この晩は珍しく酒を飲んだ。多少なりと、三重吉に思いを重ねてみようとの心持ちもあったのか。

夜遅くなって雨が降り出した。深夜12時頃になって帰宅しようとする漱石に、虚子は自分の番傘と足駄(あしだ/雨天用の高い2枚歯のついた下駄)を使うように勧めた。

勧めを受け入れた漱石は、羽織を畳んで懐に入れた。そして、着物の裾を外側に折り上げて、その端を帯に挟む尻端折り(しりはしょり)、足もとは足駄、頭に山高帽をかぶって番傘をさすという、なんとも珍妙な恰好で、雨をものともせず家路についた。いつもはお洒落な漱石先生、一杯機嫌で、少しばかり剽軽(ひょうきん)が前面に出ていたのかもしれない。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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