『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

妻子や親族すらもあてにしない。余は余ひとりで行くところまで行く(『書簡』明治39年10月23日より)

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京都で胃痛に倒れた漱石は回復まで間食を禁じられていたにも関わらず、こっそり煎餅を一枚食べてしまい…。

 

【1915年4月8日の漱石】

今から101 年前の今日、すなわち大正4年(1915)4月8日は少し寒い日だった。2週間前に京都で倒れた数え49歳の漱石は、いったんは回復しかけたが再び調子を崩し、床についていた。東京からは病人に付き添うため、妻の鏡子も呼び寄せられていた。

夕方4時頃、茶屋『大友』の名物女将の磯田多佳が見舞いにやってきた。『大友』の正式な女将は別にいるのだが、表に出るのを嫌ったため、この磯田多佳が代役を務めているのだった。

漱石はしばらく多佳と話をしたあと、「ひとつ、一中節(いっちゅうぶし)でも聞かせてくれないかね」と頼んだ。

一中節とは江戸浄瑠璃系三味線音楽のこと。長引く病臥生活にうんざり退屈している漱石に、多佳は『大長寺』と『根曳(ねびき)の松』を唄ってくれた。

夜になると、大阪から実業家の加賀正太郎がやってきた。後年、大日本果汁(ニッカウイヰスキーの前身)創立の支援者となる人物である。その加賀正太郎は、京都郊外、天王山の中腹(大山崎)に建てたばかりの別荘の名を、漱石につけてもらいたいと考えていた。そんなことを含め、あれこれの話をして、客たちが引き上げたのは夜中の12時頃だった。

ここでちょっと先回りして言うと、漱石は加賀正太郎の依頼に応え、後日、「水明荘」「竹外荘」「虚白山荘」「澄明荘」「空碧荘」など、14もの別荘の名前の案を手紙で知らせた。だが、いずれも加賀の採用するところとはならなかった。漱石の、やや枯れて、澄んだ境地の色合いが、実業家である加賀の好みとは合わなかったらしい。

この日の昼間、漱石は、間食を止められているにもかかわらず、鏡子がいない隙を見計らって缶から煎餅を1枚取り出して隠れて食べてしまっていた。たびたび妻・鏡子を困らせた漱石の悪い癖だが、それだけ病状が快方に向かっている証拠でもあった。それにしても、この類のことになると、漱石先生はやることがまるで子供なのである。

1枚の煎餅を求めて床を這い出るに際し、おそらく漱石の情念を突き動かしていたと思われるひとつの出来事がある。漱石の友人で画家の津田青楓の兄にして、京都在住の華道家・西川一草亭の回想によると、ちょうど同じ頃、こんなことがあった。

漱石が伏せっている部屋の隣で、鏡子と津田青楓、西川一草亭が話をしていた。漱石が聞くともなく聞いていると、どうやら何かを食べながら話をしている様子。漱石は、話の中身よりも食べている気配の方が気になって仕方がなく、思わずこう声が出た。

「皆で何を食べているんだい。俺にもちょっと食べさせてくれないか」

このとき鏡子たちは、鮨をつまんでいた。

まもなく、鏡子が漱石の枕もとにやってくる。生ものを食べさせるわけにもいかないので、その手には、半分に割った煎餅を持っている。それを見て、漱石先生は小児のように悲鳴まじりにこう言った。

「半分はひどい。せめて一枚食べさせろ!」

このときの、半分しか食べられなかった煎餅の記憶が鮮明にあって、この日、漱石を、鬼ならぬ妻のいぬ間のつまみ食いに走らせたのではなかっただろうか。

いや、待て。もしかして事の順序が逆ならば、夫のつまみ食いを察知した鏡子が、数日後、その懲らしめの意味もこめて、半分の煎餅を差し出したとも考えられる。

いずれにしろ、食べ物の恨みは、恐ろしいのである。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)まで、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

 

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