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趣味・教養

夏目漱石、早世した友を想い、その写真に鎮魂の一句添える【日めくり漱石/4月7日】

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

けれども運命というものは恐ろしいもので……(『行人』より)

 

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帝国大学の制服に身にまとった漱石(左)と米山保三郎。米山保三郎は建築家志望だった漱石を文学の方向へと導いた人物。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

【1908年4月7日の漱石】

今から108 年前の今日、すなわち明治42年(1908)4月7日は、漱石が趣味にしている謡(うたい/能の声楽部分)の稽古日だった。謡の先生であるワキ方宝生流能楽師・宝生新(ほうしょう・しん)が早稲田にある漱石山房(漱石の自宅)にやってきて、漱石は『綾鼓(あやのつづみ)』を習った。この日、宝生新はうっかり財布を忘れてきてしまっていた。そのため、漱石は俥代(人力車)を貸した。

この宝生新を漱石に紹介してくれたのは、漱石の親友である正岡子規門下の俳人・高浜虚子(たかはま・きょし)だった。虚子は宝生新を漱石に紹介するにあたって「月謝が安い上に、食事をふるまうなどの面倒を要求しない気さくな家元だから」と推薦していた。そんなさっぱりした人柄が、この日の行動にもあらわれていたのだろう。

宝生新を見送ったあと散歩に出た漱石は、近所の植木屋で君子蘭(くんしらん)と石楠花(しゃくなげ)の鉢植えを買い求めた。その際、漱石は、植木屋に松の鉢の育て方を尋ねた。

すると、「よくお天道様に当てて、水をやるこったね」という、いとも簡潔な答えが返ってきた。帰宅後、漱石は早速それを実行した。漱石先生、専門家にものごとを教わるときには、なかなか素直なのである。

それからしばらくすると、漱石の友人・米山保三郎(よねやま・やすさぶろう)の兄、米山熊次郎が訪ねてきた。米山保三郎の別名は天然居士(てんねんこじ)。この「天然居士」は、鎌倉の円覚寺(えんがくじ)管長の今北洪川(いまきた・こうぜん)から与えられた号であったという。

米山保三郎は第一高等学校・東京帝国大学時代の漱石の学友。哲学科で空間論を研究する英才だった。当時、建築家を志望していた漱石に、「日本ではどんなに腕をふるっても、(ロンドンの)セント・ポールズ大寺院のような建物を後世に残すことはできない。それよりも、まだ文学の方が生命がある」という言葉を投げかけ、英文学へ進路変更させるきっかけを与えたのも、この米山保三郎だった。漱石はのちに『吾輩は猫である』の中で、ちょっとふざけて、《天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁(はな)を垂らす人である》と書いた。型にはまらないスケールの大きな人物だったのだろう。その才を惜しまれながら、29歳の若さで逝去。まもなく13回忌を迎えようとしていた。

漱石はこの日、1週間ほど前に熊次郎から預かっていた保三郎の肖像写真を、熊次郎に返却した。熊次郎はその写真に「記念に何か書いてほしい」と言って、漱石のもとに預けていたのだった。漱石は写真の余白部分に、《空間を研究せる天然居士の肖像に題す》として、こんな句を書きつけていた。

〈空に消ゆる鐸(たく)の響や春の塔〉

句中の鐸は、五重塔の軒端などにつるす風鈴のこと。句全体の意味については、漱石自身が、後日、《寂寞たる孤塔の高き上にて風鈴が独り鳴るに、その音は仰ぐ間もなく空裏に消えて春淋しという意味》と、熊次郎への手紙の中で説明している。

友への鎮魂の思いのこもる一句だった。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

 

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