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『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

世の中に片づくなんてものは、ほとんどありゃしない(『道草』より)

岡山にいる門弟・野村伝四宛てに、「そちらの桜はいかが」などと綴った漱石の書簡(明治45年4月6日付)。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

岡山にいる門弟・野村伝四宛てに、「そちらの桜はいかが」などと綴った漱石の書簡(明治45年4月6日付)。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

【1912年4月6日の漱石】

今から104 年前の今日、すなわち明治45年(1912)4月6日、漱石は同年1月から始まった新聞連載小説『彼岸過迄』の執筆に追われていた。気候も温かくなって桜の花が咲き、上野公園も向島界隈も、花見の人出でにぎわっていた。春の大好きな漱石としても、ちょっと浮かれ気分になってそこに加わりたいのだが、日々の仕事に追われて出かける余裕がなく、歯がゆい思いをしていた。

そもそも『彼岸過迄』は、その題名の通り、春のお彼岸を過ぎて4月に入った今、そろそろ終幕を迎えていていいはずの作品だった。ところが、漱石の推薦によって『彼岸過迄』の次に掲載を予定していた執筆者の中村古峡(なかむら・こきょう/文学者)が病気で倒れてしまい、筆が滞っていた。中村古峡の回復を待つか、あるいは別の書き手を探すか。いずれにしてもある程度の時間を要するため、漱石が物語の完結を引き延ばし、筆を執り続けていたのだった。

そんな事情もあって、つい愚痴りたくなり、漱石は弟子で岡山中学校の校長をつとめる野村伝四(のむら・でんし)に宛てて、こんな手紙を書いた。

《上野も墨堤(ぼくてい/隅田川の土手)も人の出盛(でさかり)のよし、新聞で見るばかり、久しく花には御無沙汰。岡山の桜は如何にや。四月の様に遊ぶ事の多い月に小説を書くのは甚(はなは)だ無風流の至り、来年からは注意してやめに致したい》

結局、『彼岸過迄』が完結したのは、3週間あまり後の4月29日の紙面。次いで5月1日からは正宗白鳥の『生霊』の連載が始まった。病に倒れた中村古峡には、まずは療養に専念してもらった方がいいと、漱石が配慮したのだ。

中村古峡の自伝的長編小説『殻』は、正宗白鳥の『生霊』を間にはさんで、7月26日から朝日新聞紙上に掲載されることになる。

ちなみに、4月に仕事をする無風流を、漱石はその後も避けることはできなかった。翌大正2年(1913)4月には、漱石は体調を崩しながらも小説『行人』の新聞連載を書いていた。そして、そのまた明くる年の大正3年(1913)4月には、あの名作『心』の新聞連載を執筆していた。

まったく、浮世はままならず、仕事も容易には片がつかないのであった。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 

特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

 

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