『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。
■今日の漱石「心の言葉」
英語を修める青年は、ある程度まで修めたら辞書を引かないで無茶苦茶に英書をたくさん読むがよい(『現代読書法』より)

漱石がロンドンで作った「K.Natsume 」の名刺原板。漱石のロンドン暮らしの一端をしのばせる。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
【1901年4月5日の漱石】
明治34年(1901)4月5日、つまり今から115 年前の今日、給費留学生としてロンドンに来ておよそ半年が経った34歳の漱石は、フロッドン・ロードの下宿部屋にこもって、ロバート・ルイス・スティーブンソンの小説を読んでいた。
スティーブンソンといえば、現代の我々からすると、冒険小説『宝島』と怪奇小説『ジキル博士とハイド氏』というふたつの作品がすぐに頭に思い浮かぶだろうが、漱石がこの日、読んでいたのは冒険歴史小説の『誘拐されて』だった。
漱石は、スティーブンソンの書く文章を高く評価していた。帰国後、明治39年(1906)に『中央公論』に発表した談話の中で、こんなふうに語っている。
《西洋ではスチヴンソン(Stevenson )の文が一番好きだ。力があって、簡潔で、クドクドしいところがない、女々しいところがない。スチヴンソンの文を読むとハキハキしてよい心持だ。(略)スチヴンソンは句や文章に非常に苦心をした人である。(略)スチヴンソンの書いた文句は活(い)きて動いている》(『予の愛読書』)
こうした読書を通じて、ロンドンの漱石はやがて、単に英語の修養や英文学の研究にとどまらず、そもそも文学とはなんなのか、人類と世界はどう関係するのか、そして、これから自分は、日本人は、どのように生きていけばいいのか、といった根源的な問題にまで向き合っていくことになる。深く懊悩しながらも読書と勉強に邁進する漱石の姿には鬼気せまるものがあった
読書に疲れた夕刻5時半頃になって、漱石は本を閉じて机の上に置き、ブリクストンに出かけた。
この日は、復活祭(キリストが復活したことを記念するお祝いの日)の前の金曜日で、市内の店はどこも休業だった。往来をゆく人たちは、外出着で綺麗に着飾って、ちょっと得意な様子に見えた。それと比較すると、自身の背広は色褪せ、流行遅れの外套を着ている。背丈も低く、容貌もさえない。などと、つい劣等感を覚えてしまう漱石だった。
下宿へ帰った漱石は、ひとりで食事をした。
下宿の者は誰もいない。なんだか寂しい気持ちもあって、ついつい食い気が出て、漱石はいつもよりパンを一片余計に食べてしまった。
そうして、部屋に戻ってから、
「ちょっと下品だったかな」
と、またまた反省する漱石先生なのだった。

夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館は、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催する。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。
県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。
