『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『こころ』…数々の名作を世に残した文豪・夏目漱石が没して今年でちょうど100年。漱石は小説、評論、英文学など多分野で活躍する一方、慈愛に富んだ人間味あふれる紳士でもありました。そんな漱石の「日常」を辿りながら文豪の素顔が見える逸話を取り上げ、小説、随筆、日記、書簡などに綴った「心の言葉」とともにお届けします。


■今日の漱石「心の言葉」

今日、大なる作物ができんのは、生涯できないという意味にはならない(『書簡』明治39年2月15日より)

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漱石が「明治の小説として後世に伝えるべき名篇」と評した島崎藤村の小説『破戒』(新潮文庫)。


【1905年4月3日の漱石】

今から110 年前の今日、すなわち明治39年(1906)4月3日、漱石は5日ほど前に買い求めた1冊の本を読み終えた。自費出版された本だったが、深く胸を打たれていた。

「明治の小説として後世に伝えるべき名篇だ」と感じた。人生のテーマと真剣に向き合い、余計な細工の施していない文章で、真面目に、すらすら、すたすたといった調子で書いてあるのも、漱石の頗(すこぶ)る気に入った。

この作品こそ、島崎藤村の『破戒』であった。当時の藤村は詩人としては知られていても、小説家としては無名の存在。その作品の価値を、漱石はいち早く見出していた。

漱石は近代日本を代表する書き手であるとともに、読み巧者であり、出版プロデューサーのような役割さえ果たした人だった。芥川龍之介と野上弥生子という、日本文壇史にその名を刻む男女ふたりの才能を見抜き育て上げたのも、漱石だった。

朝日新聞で自作品を執筆・掲載していた漱石だが、他の書き手による小説連載の相談にも預かっており、まだ無名だった中勘助(なか・かんすけ)の『銀の匙』の連載も実現している。

島崎藤村の『春』、永井荷風の『冷笑』、長塚節の『土』、徳田秋声の『黴(かび)』、高浜虚子の『柿二つ』なども、漱石の推薦によって朝日新聞に連載された作品だった。

志賀直哉にも連載小説の舞台を用意したことがあった。このときは直哉の方がどうしてもうまく筆が運べず、漱石に詫びて別の作者を探してもらうという一幕となった。それまで直哉は、『白樺』などの同人誌で、原稿枚数も気にせず、自由に書いた作品を自由に掲載してきた。そんな直哉にとって、1日分ずつの決まった分量の原稿を、しかも毎回読者を惹き付けるような創意を凝らしながら書きつらねていく新聞連載は、あまりに勝手が違ったのである。

漱石は、直哉の申し出に創作家としての真面目な態度を見出し、嫌な顔ひとつせず、急遽、連載に穴のあかないよう対処したのだった。

さて、『破戒』を読み終えた漱石は、すぐに門弟の森田草平に手紙を書いた。率直な感想を記した上で、雑誌の書評欄でこの傑作をぜひ紹介すべきだと薦めた。

漱石先生の目は、50年、100 年という遥かな時間軸をも見据えつつ、文学作品の価値を読み取っていたのである。

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夏目漱石(1867~1916)江戸生まれ。帝国大学文科大学(現・東京大学)英文科卒。英国留学、東京帝大講師を経て、朝日新聞の専属作家に。数々の名作を紡ぐ傍ら、多くの門弟を育てた。代表作『吾輩は猫である』『坊っちやん』『三四郎』『門』『こころ』など。家庭では鏡子夫人との間に7人の子を儲けた。写真/県立神奈川近代文学館所蔵

 
特別展「100年目に出会う 夏目漱石」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館では、漱石没後100年を記念して文豪の作品世界と生涯を展覧する特別展「100年目に出会う 夏目漱石」を開催中。会期は2016年3月26日(土)~5月22日(日)、開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)、観覧料は700円。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜(5月2日は開館)
神奈川近代文学館の公式サイトはこちら

神奈川近代文学館外観_2

横浜港を一望できる緑豊かな「港の見える丘公園」の一画、横浜ベイブリッジを見下ろす高台に立つ神奈川近代文学館。夏目漱石に関する資料を多数所蔵する。

 

文/矢島裕紀彦 
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

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